ベルカント唱法



このベルカント唱法についての記事は、私が管理するZAQの掲示板に掲載していたものですが、ZAQのサービス停止に伴い、こちらに引っ越してきました。それに伴い、加筆修正した部分もあります。過去の記事の掲載に続いて新しい記事も書いていこうと思います。今まではブログの一項目として掲載していましたが、なかなか探しにくいとのご意見がありましたので、トップページから直ぐに入れるようにこちらに掲載し直しました。内容はブログの物と同じですが、掲載順を逆にして始めから順に読んで頂けるようにしています。

声楽的な発声(ベルカント唱法)について  まえがき
私は学生時代から数えると、かれこれ40年以上歌ってきましたが、発声法に関することは今でも色々思い悩み、現在進行形の課題です。
学生時代はともかく無我夢中で先生の言う様にやっていましたが、25年ほど前から、それまでやっていた歌い方に疑問を持ち、一から発声を考え直すことにしました。
その後何度も右往左往しながら、より良い発声法を求めて勉強し続けてきました。コンサートで歌う度、新しい方法を試していたので、周りからは聴くたびに声が違って、おかしいなと思われていたかもしれません。
今では自分なりに確立出来てきたように思いますが、それでも新しい歌を歌う度、コンサートの度に微修正の連続です。
自分への備忘録を兼ねて、これから少しずつ、私の発声の方法の移り変わりや自分なりに思う大切な点など発声の方法論について、思うままにこの掲示板に綴っていこうと思います。
興味のある方は、読んで色々と書き込みもして下さればと思います。
質問などもお寄せ下されば、書ける範囲でお答えしたいと思います。
 

そもそもベルカント唱法って?
ベルカント唱法とは、ネットや事典で調べればすぐに出てきますが、美しい声という意味のイタリアの伝統的な発声法の事です。
ベルカント唱法は、18世紀から19世紀初め頃のイタリアオペラの世界で盛んに使われましたが、ホールやオーケストラの規模が大きくなるに従って、声もより広い場所で響くように、オーケストラの音に負けずに通るように次第に変化してきたと、言われています。
本来は今とは違い、比較的狭い場所で小編成のオーケストラを従えて歌っていたので、細くて透明感のある、美しい響きを重視したものだったと言われています。
その変遷は、ピアノがクラビコードやチェンバロから次第に形や仕組みを変え、今のピアノになっていったのと似ている気がします。
楽器は昔の楽器が残っているので音が再現できますが、声は録音技術が無かったので、文献からではどのような歌い方だったか、具体的にはわかりません。
また、本場のイタリアでも、本来のベルカント唱法はすっかりすたれてしまって、伝える人が殆どいないと言われています。
そのため、現在ベルカント唱法と言えば、19世紀以降の、イタリアオペラを歌うための発声法だと考えて良いでしょう。
元々はイタリア固有の発声法であるベルカント唱法が、今は世界的に声楽の良い発声法として広まり、声楽の発声法といえば、ベルカント唱法と言われるようになりました。
私のこのブログでも、現在のイタリアオペラを歌うための発声法として書いています。


お腹って膨らますの?それともへこますの?
私が色々な人にレッスンをしていてよく聞かれるのが、歌う時にお腹は出すの?それとも引っ込めるの?という事です。
息を吸えば胸やお腹は膨れます。
それについては皆さん異論は無いようですが、問題は歌う時。
つまり歌って息を出す時、お腹は引っ込めるのか膨らませるのかという相反する二つの意見があるのです。
私は、歌っている間も息を吸ったままの形を維持するように、横隔膜は出来るだけ下げたまま、つまりお腹は膨らんだま保って下さいと教えていますが、時々、息を出すときには下腹を引っ込めながら息を出すと習いました、という人がやってきます。
それは一見違う事のように感じますが、実はある意味同じ事なのです。
息を保って横隔膜を下げたままにしておいて息を吐いても、息は少なくなりますから、少しずつ横隔膜は上がってきます。
それをお腹周りの筋肉で、なるべく上がらないように支えながら息を吐くのです。
その時のお腹の状態をじっくり自分で感じてみると、決してお腹はだらんと前に突き出るのではなく、下っ腹は上からの横隔膜の力に対抗するかのごとくパンと張られ、下腹が緩まないように支えているのです。
つまり下腹から見れば、お腹を引っ込めているような感じになっています。
けれど、決してわざと引っ込めようとしているのではありません。
下っ腹を引っ込めてと教えている先生は、正しい状態のお腹はそういう感じがあるので引っ込めてと教えるのでしょうが、それは形を真似させるだけで、実際は違う状態なので、それをやると歌う本人はとても苦しい事になります。
同じく、見た目は似ているかもしれませんが、単に息を吸ってだらんとお腹が出た状態と、息をしっかり支えて膨らんでいる時のお腹の状態とは全く違うのです。

たかがベルト、されどベルト
私は25年位前からイタリア人のテノールの先生に師事し、ほぼ20年間に渡り、先生がイタリアから日本に来られる度にレッスンを定期的に受けてきました。
福島の原発の事故以来日本に来られなくなったので、5年ほど前にレッスンをして頂いたのが最後です。
先生の声は本当に素晴らしく、プッチーニの「誰も寝てはならぬ」は、かのパバロッティーにも引けを取らないほどです。
初めてお会いした時、先生は60歳でしたが若々しくエネルギッシュな声は衝撃物でした。
2000年には先生と一緒に地元でジョイントリサイタルも開催させて頂き、とても良い思い出になりました。
その先生の初めてのレッスンでの言葉は忘れられません。
「日本の女性は話し言葉も小さくておしとやかなので、歌を歌うための筋肉が全く出来てない。歌うときはウエストにきつめにベルトを巻きなさい。」だったのです。
それまで日本の先生には、身体は出来るだけ締め付けず、息がゆったり流れるようにしなさいと言われ、ベルトなどは外すようにしていました。
ベルトだけでなく、下着も出来るだけ締め付けない物を着けなさいと、教えられていました。
それ以来ベルトを締めて歌う日々が続き、今は生徒にもそう教えています。
細いものより5センチから8センチくらいの幅がある硬くない物が、良いと思います。
ただ、今思えば、先生がベルトを締めなさいとおっしゃったのは、お腹の力の入れ方と筋肉を意識させるためで、それが分かれば、いつまでもベルトを締める必要はないという事です。
勿論、今は私もベルトはしていません。
筋肉が出来てお腹の使い方が分かれば、ベルトは締めない方が、柔らかい声が出るように感じます。
でも一旦は外していても、何か変だと感じれば、着けてみて確認する事が大切ですね。
ベルト以外に、女性ならばガードルをはいてみる、ボディースーツを着てみるなども体の感覚を発見する手助けになるように思いますよ。


1にハミング2にハミング

連載の3回目は、声の美しい響きの元であるハミングの重要性について書いてみます。
良い声を出すには、良い声帯と健康な身体が必須ですが、良い声帯を持っていても、良い響きがつかなければ良い声は生まれません。
ハミングは鼻腔共鳴を付ける為に必要なのですが、低音の声質、つまりバスやアルトは低音を響かすために胸の響きが重要なのと同じく、高い声質のソプラノやテノールには欠かせない要素です。
勿論、胸の響きも鼻腔の響きも歌うためには両方必要なのですが、特にソプラノやテノールにはハミングの練習が欠かせません。
ハミングにも綺麗なハミングと汚いハミングがあり、美しい声の為には勿論綺麗なハミングが必要です。
私の教室では、入門したばかりの方には姿勢、呼吸の仕方、支え方のレッスンをしますが、その次にハミングの習得を目指します。
ハミングで最低3点ハ音は年配の方でも出せますし、若いソプラノなら3点ホ音やへ音も出せる人が多いです。
ハミングで出る音なら声でも出るはずです。
高音が出なくて悩んでいる方は、ハミングの練習をしてみて下さい。



発声の勉強の仕方

インターネットで調べると、発声についての様々な情報が溢れています。
声楽を勉強しようと思う人の中には、そのようなインターネットの情報やヤフーの知恵袋、書籍などで自習しようとする人も多いようですが、それは間違ったやり方です。
というのは、自分の出している声は、自分にはどうやっても客観的に聞こえないからです。
自分の話声を録音して聞いてみるとわかりますが、初めて聞くと、耳を疑うような恥ずかしい気持ちになるのが普通です。
自分の思っていた声と録音した声とは似ても似つかぬもので、大抵の人は自分の声に幻滅するものです。
これからも分かるように、自分の歌声という物も、自分で聴いている声と他人が聴いている声とは違うのです。
ですから、自分の耳で聴いて良い声とか駄目な声とか思っても、それは的外れで、良いと思った声が全くダメという事がよくあります。
それを補うものとして録音機器がありますね。
でも機種や性能、録音レベル、などにより、同じ声を録音しても機械によって再生能力にかなりの差があります。
再生装置の差やイヤホン、ヘッドホンの差もかなり出てきます。
勿論、何百万もするプロ用の機材を揃えれば、かなり実際に近くなるとは思いますが、普通の環境で個人が揃える事は難しいです。
ですから、個人が所有する機器で録音する場合、参考にはなっても、本当の声を聴く事は出来ません。
という訳で、発声の勉強には、確かな耳を持つ他人の評価が不可欠です。
自分が今出している声が良いのか悪いのか、どういう感じの声が出ているのかを、きちんと判定し伝えてくれる人の存在抜きでは、発声の勉強は出来ません。
自分の歌った感じや録音で9割は良し悪しが分かりますが、最後の自分でも迷う部分を最終的に判断して貰うのは、信頼できる耳を持っている他人です。
それも遠慮なく言ってくれる人でないと務まりません。
ですから、これから発声を勉強しようとする人は、良い耳を持った良いメソードで教えてくれる良い教師に習う事が不可欠なのです。
書籍やネットに書かれてある事は、ある程度自分の声が確立してから読めば、自分の発声を修正したり疑問点のちょっとしたヒントになる事はありますが、初めからそれに頼るのは間違いです。
大体、書いている文章を読んで会得出来るなら、誰も苦労しないでオペラ歌手になれますよね。
何事も技術という物は、良いコーチについて訓練しなければ、身に付ける事は出来ません。
伝統芸能や運動、楽器演奏、すべてにそれが言えます。
発声は、目に見えない身体の内部の操作や筋肉の意識で作り上げていくものなので、尚更真似がしにくく、良い先生の言う事を生徒は感覚を研ぎ澄ませて想像し、色々と自分で試行錯誤する事が必要なのです。
最後に一点。
良い先生に付くためには、是非その先生の演奏を聴いて下さい。
自分がいいなと思う先生に付けば、その先生のやっている発声を習えます。
自分がこんな声は嫌だなとか、余り上手いと思わない先生には付かない方が良いでしょう。
決して名声やキャリアだけで選ばない事。
ただし、演奏が気に入っても、その先生が教えるのが上手だとは限りません。
私の知っている例では、素晴らしい声の持ち主で誰もが認める歌い手に習いたくて大学に入学し、生徒になったが、肝心の発声については殆ど教えて貰えなかった、という事がありました。
一流の演奏家は、自分の演奏に忙しくて余り教える事に興味が無い方が多いです。
また、大学は発声を一から教える時間はなく、次々に歌やオペラを勉強するという事情もあります。
発声は入学前にしておけという事でしょうが、発声はある程度出来るまでに数年は掛かります。
とても入学前に身に着けるのは難しいです。
ですから声楽を勉強したくて音楽大学に入学したい方は、高校生の間に信頼できる先生に発声の基礎の基礎をきちんと教わり、大学では様々な歌を習う。
卒業後、再度発声に正面から向き合い、発声を専門に見て下さる先生に習うのが一番良いのではないかと思います。
私の教室には、そのように専門の大学を卒業してから、もう一度発声を一から勉強したいとやってくる方がいらっしゃいます。
イタリアでは、声の先生と歌の先生は別で、プロの歌い手も声の先生に定期的に見て貰い、声を調整していると聞きます。
日本では、両方を同じ先生がやるので、なかなか発声を見て貰えませんし、実際に発声だけを専門家にレッスンしている先生は殆どいないのです。
私もそういう先生を色々探しましたが、結局見つけられなかったので、止む無く友人と二人で発声法を研究する事にして、現在に至ります。



姿勢について

皆さんは、歌う時の姿勢について、どう教えられてきたでしょうか。
胸を張って、肩の力は抜き、背筋を伸ばして、足は肩幅に開いて、重心を下に落として、顎を引いて立ちなさい。
きっとこのような事を言われて来たと思います。
これら一つ一つは間違ってはいませんが、あくまで初心者の方が歌を習う時に、こうすると上手く息が回ったり歌いやすくなったりするので、外見からわかる事を並べた言葉です。
実際は、こういう姿勢でなくとも、歩きながらでも座っていても寝ていても歌えますし、歌えなくてはオペラなどで歌いながらの演技が出来ません。
つまり、歌の姿勢とは、支えられた息が自然に送られ、身体の支柱が一本通っていれば、他の部分はどうなっていても構わないのです。
肩や胸、首は脱力して無理な力は入れない。
身体は柔らかく保ち、かつ張を持たせて立ち、重心は両足の中心に落とし、気持ちは生気に満ちてはつらつと。
決して良い姿勢を取ろうとして体を固くしてはいけません。
けれど、何も力を入れず体中脱力でも駄目なのです。
それでは立つことすら出来ません。
例えれば、弾むゴムまりのような体でいると思って下さい。
木製や金属製の身体ではいけません。
そこまで固く無いにしても、プラスティック製の身体位の人は、よく見かけます。
外見上は始めの文のようになりますが、実際に歌う場合はリラックスして立つことが肝心です。
全ての運動と同じく、歌も身体を使うスポーツの一種ですから、筋肉の収縮と弛緩、つまり脱力がキーワードです。
そうは言っても、どこをどのように脱力し、どこは脱力しては駄目なのか。
そこがなかなか難しく、初心者が苦労するところなのです。



発声は全てバランス

私が30年近く発声を研究してきてつくづく思う事は、発声とはバランスだなということです。
なかなか上手く表現し難いのですが、ある事を意識するときは必ずその反対の事も意識する事が重要なのです。
例えば、息を吐くときは息を吸う事を意識し、声を前に出すときは同時に声を後ろに出すことを意識するのです。
姿勢にしても、重心を下に落としながら同時に上向きに伸びる感じもしますし、上の響きを意識すると同時に下の響きも意識する等、言いだすと、きりがありません。
常に反対の事も意識するという事は、結局どちらか一方ではなく、真ん中であり、バランスが取れて力が釣り合っているいう事になり、結局、何もしていないのと似ています。
似てはいますが、何もしていないのでは無く、すべて何事にも反対方向に引っ張り合っているので、どちらかに偏るのではなく、バランスが取れているのです。
特にどこか一点とか、一方向とかに意識を向けてはいけません。
何かを意識するときは、その反対の事も同時にやるという事を、考えてみて下さい。
これはとても大切なことですが、初めはなかなか上手く出来ません。
意識する事が多すぎて、つい抜けてしまうのです。
もし、なかなか思うような声が出ない時は、何か偏った事をしていないか確認してみてください。
一般的に正しいとされている事も、やり過ぎては駄目なのです。
偏っている感じがしたら、それと反対の事も同時にやってみましょう。
きっと良い方向に向かうと思いますよ。



口の開け方について その1

皆さんは、口の開け方について迷っていたりしませんか?
私も過去には小さい方がいいのか大きい方がいいのか、唇の形はどういうのがいいのかと、かなりあれこれ迷いました。
色々と試してみたり、外国の上手い人たちの歌っている姿を見て研究して、今ではこうなんだと分かった事があります。
それは、響きを集めたり取りあえず失敗しないように無難に歌うには、余り口を大きく開けない方が良いという事です。
それに、初心者は咽を開ける事が下手ですから、咽を開けようとして口も大きく開きすぎてしまいがちです。
咽は勿論開けるのですが、口を大きく開けすぎると響きが下に落ちてしまったり、音程が下がったりしてしまうのです。
また口を開けすぎると、常に咽を開くのがとても辛くなる上、言葉もはっきりしなくなります。
これでは困りますね。
ですから初心者の内は、中音域では口は余り大きく開かない方が良いでしょう。といっても小さすぎては咽も開き難いのでほどほどが大切です。
その時に下あごや唇に力を入れてはいけません。
大切なのは、口よりも咽を開ける事です。
その上で上の響きを常に離さないでいる事が重要です。
ただし、低音と高音を出すには咽をかなり大きく開ける必要があるので、中音域よりは口も大きくしっかりと開けなければなりません。
その歌い方に慣れていつでも出来るようになれば、口を少しずつ大きく開くようにして行くと良いでしょう。
というのは、口はある程度開いた方が、口の中での共鳴が得やすいからです。
鼻腔共鳴と共に口の共鳴が加われば、響きが豊かになりボリュームも出てきます。
ですから私の教室では、初心者の人には余り口は大きくしないようにと教えていますが、大き目に開けても咽も開けられ、上の響きが落ちない人には、そのままで歌わせています。

顔の表情について
皆さんは、先生から顔の表情について、色々と言われた事があると思います。
例えば目を開けて、眉毛を上げて、笑って、ほっぺたを高くしてなど等。
私も生徒にこれらの言葉を掛けていますが、良い共鳴の付いた美しい声が出ている時には、この様な言葉で表現されるような表情になっている事が多いので、それを逆説的に述べているに過ぎません。
つまり、咽喉や口、軟口蓋、鼻、額、頭、などの場所が歌うのに最適な状態の時、そういう顔になっている事が多いのです。
世界の一流の人たちの歌っている顔を見ていると、きれいな声を出している時の表情はとても美しく、何と言ったら良いか分かりませんが、例えれば天女やお釈迦様の表情とでもいいましょうか、美しくて奥深いまさに良い声が出ているような顔つきなのです。
美しいと言っても、決して単純ににっこり笑っただけの写真を撮る時のような顔ではありません。
軟口蓋が上がり、鼻腔共鳴が豊かで、なおかつ咽が開き、声は前に飛んでいき、明るい響きと同時に深みもあり、豊かで美しい声。
そんな声を出している時の表情なので、色々な要素が全部組み合わさり、全てが出来ている時だけに現れる表情なのです。
なかなか一度に全ては出来ないので、直ぐに理想の顔にはなれません。
でも諦めるのは早いです。
今のままの自分の表情から勉強出来る事があります。
それは、美しくない表情、つまり苦しそうだったり、何だか奇妙だったり、自分で見て恥ずかしかったり、良いと思わなかったり、嫌だなと思う顔の時には絶対に良い声は出ていないという事です。
つまりそういう顔の時は、その時の発声のやり方はどこかがまだ違っているという事なのです。
世界的に名声のある一流の人が、美しい声で歌っている時の顔を是非研究してみて下さい。
怒った声や悲しんでいる声を出している時の顔では駄目ですよ。
喜びや神や人への愛を表現する声で歌っている時の表情です。
人それぞれの持って生まれた顔立ちは違っても、そういう時の一流の歌手の人たちの顔には共通するものがあります。
それを見て、自分もそれに近い顔で歌えるように、表面的な顔以外の場所からアプローチしてみて下さい。
その為には、歌っている顔を鏡で見る事が大切ですね。
ちょっと気恥ずかしいですが、是非一度鏡の前で歌って見て下さい。
実際に声を出さなくても、歌っているつもりで口を開けてから、そのままの顔で直ぐに鏡を見ても良いでしょう。
彼らに近い顔で歌えるようになればなるほど、良い声になっていく事を実感出来るようになると思いますよ。



口の開け方について その2

前回、口の開き方について書きましたが、少し言葉足らずだったので、今日は補足を書いてみようと思います。
外人の上手い人の口の開け方を見ていると、殆どの人が最高音ではしっかり開けていますが、高音以外の所は普通だったり小さかったりと様々です。
外人でも日本人でも口の大きい人、小さい人など体の作りは様々なので、一律にどれくらい開けるのが良いとは言えません。
口の小さい人が、大きい人と同じくらい大きく開ける事は出来ませんね。
ならば口が小さい人は、歌には向かないのでしょうか?
そんな事はありません。
口の大きさの絶対的な数値が問題なのでは無くて、あくまで咽の広さと口の大きさのバランスなのです。
咽も何でもいいから大きく開けるがよいのではなく、開けすぎると響きも落ちるし、雑音が出たり、喉に力が掛かったような声になったりする弊害が多いのです。
つまり、悪影響の起こらない範囲で咽を開けて歌わなければなりません。
私の教室では、咽を開ける事自体が出来ない生徒さんが多いので、まずはしっかり咽を開く練習をして貰っています。
咽をあくびのようにしっかり大きく開くと、必然的に口も大きくなってしまいますが、口も本当は必要以上に大きすぎると良い声になりません。
どのくらいの大きさに口を開けるのが良いのかは、その人の口の大きさや軟口蓋の形や大きさ、歌っている音域な色々な要素が絡んで来るので、各個人がそれぞれの音域や発音で最適な開け方を研究する必要があります。
私個人は、うまくいっている時はいちいち考えなくてもオートマチックに全てが変わり、最適な形になるような感覚があります。
それは、口や咽だけではなく体の使い方、息の送り方全てに共通する感覚です。
また、口の大きさもですが、唇の形も声に大きく影響するので、唇の形もよく研究して下さい。
顎や唇に過度な力を入れて形作ってはいけませんが、良い声になる唇の形というものがあるので、唇の形への意識は常に必要です。
ともかく、長い間発声の研究をしていると、こんな微妙な事で声が変わるのかと驚くことの連続でした。
みなさんももし、今のやり方が拙いのではないか、何か他の方法があるのではないかと思うなら、固定観念は捨て色々とやってみて下さいね。
ただ、先生に習っている方は、先生の声に対するアドバイスは大切にして下さい。
もし、やり方そのもののアドバイスが貰えないにしても、貴女が気づかない貴女の声の問題点を、先生の耳を通して指摘して貰っているのですから。
でも、どんな良い先生に習い、発声についての本を読み、どんなに良いアドバイスを頂いてもそれを実行するのは貴女です。
先生の仰る事の意味をよく考え、自分で色々と努力すること、それ以外に声を良くする王道はありません。



本番の舞台の重要性について

私は一昨日(平成27年11月10日)ちょっと大きなコンサートの舞台に立ったのですが、今日は本番で歌う時の注意点を書いてみます。
大抵の本番ではゲネプロという最後のリハーサルがあると思いますが、その時には必ず自分の演奏を録音することが大切です。
録音機器は、客席の出来れば正面後方に置いた方が良いでしょう。
そして本番までの間にその録音を聴いて、良くなかった箇所があれば、自分で原因を見つけて修正しましょう。
勿論、リハーサルでは何方か耳の確かな方に聴いて頂いて、ピアノと歌のバランスの確認や、声の一番響く立ち位置などを決める事も必要です。
大きな舞台で最も犯しやすい間違いは、つい頑張ってしまう事です。
客席の一番遠くまで声を届かせないといけないと、いつもより頑張る、それが一番悪い事です。
いつもの自分の練習室や先生のレッスン室で歌っている通りの歌い方で、本番も通さなければいけません。
歌い方だけでなく、立ち方も顔の向きもです。
客席は後方が高くなっている事が多いので、つい顔を上げてしまいがちですが、いつも通りを通してください。
いつも通りで歌うと、何だか声が小さい様に自分には聞こえるかもしれませんが、大丈夫です。
ホールの反響や響きを聴いてはいけません。
自分の声に集中する事。
PやPPで歌うところは、ホールだと自分にしか聞こえていない様な感じの声になりますが、いつもそれで出来ているのなら、そのままの歌い方で良いのです。
本番は、ドレスを着たりヒールを履いたり、下着も普段とは違うものを着ることが多いので、感覚が変わり、戸惑うかもしれませんが、いつもと同じになるように、自分でしっかり確認して下さい。
リハーサルが終われば、楽屋で声出しが可能なら、ハミングしたり始めの一二小節を歌って声を確認すれば大丈夫です。
呼吸が楽に出来るかどうかも、しっかり確認しましょう。
当日にドレスを着たら、太っていてきつくなっていたなんて事が無い様に、事前にドレスと下着、靴を着用して確認しておきましょう。
余りにきつい下着やドレスだと、息を吸うのに支障が出ます。
程よい大きさの物を着用するようにして下さい。
ヒールは余り踵が高いと足が疲れるので、無理の無い高さの物を履いて下さい。
本番直前の食事も良くありません。
どうしても食べるなら、歌う一時間以上前に、少なめに軽くおにぎり程度で。
時間の余裕がある場合なら、普通に食べても差し支えありません。
飲み物は必須ですが、紅茶は咽がイガイガする事があるので、控えた方が良いかもしれません。
最後に、前にも書きましたが、録音機器は出来るだけ良いものを持ちましょう。
決して携帯電話で録音なんてしないで下さいね。



発声の勉強の仕方 その2

以前の記事で先生の選び方などを書きましたが、今日は少し違った観点から書いてみます。
自分で色々やってみる他に上手くなるために大切な事は、様々なコンサートに出かけて色々な声を聴く事です。
世界的に名声のある本当に優れた一流の方々の演奏を聴き、耳を肥えさせ、良い声とはどういう物なのかを知る事が、まず必要ですが、日本の一般の歌い手や勉強中の学生さん達の声を聴く事も、また大切です。
というのは、その方達の声が、理想とする世界の一流の声とどこが違い、その原因は何かという事を聴いて分析し、考える事がとても大切だからです。
優れた歌い手から学ぶことは非常に多いです。
コンサートの料金は高額ですが、声は勿論ですが、立ち方、表情、ステージマナーなど学ぶ点は数えきれません。
それとは違う一般的な声を聴く事も、また大切なのです。
発声を勉強して次第に自分で分かってくれば、それに比例して他人の声の問題点や原因が、はっきり分かってくるようになります。
私も学生の頃は、声楽家と名の付く日本人や外人の有名な方は皆、とても立派な声に思え、自分よりはるかに上手く感じて感心するばかりで、それぞれの声の違いや問題点などは、余り分かりませんでした。
何か違うとしても、それは個性であり、声帯や体格の差だとばかり思っていました。
けれど、自分で発声の勉強をして行くにつれて、色々な声で歌われるそれぞれの方について、何処に問題があるのか、もっとどうすれば良くなるか、等が分かるようになって来ました。
そして今はっきり思うのは、外人と日本人では骨格や体格の差があるので日本人には外人のような声は出せないのだ、という考えは間違っているという事です。
一般的な日本人の歌い手と世界の一流の歌い手では、根本的な発声の仕方が違うのです。
それは、特にソプラノとテノールに、より顕著に表れていると思います。
日本人でも正しい発声の仕方が身に付けば、外人のような立派な声が出ます。
勿論、個々の体格や声帯は違うので、個性の差は出ますが、発声の仕方が同じなら、同じ種類の声になるのです。
色々な声を聴き、それぞれの声の出し方を分析考察して行くと、自分にとっても良い勉強になる上、自分より上手いと感じる人の声を聴いたときは、絶好の機会です。
目も充分働かせて様々な情報を集められます。
聴いた声に何か問題点を発見出来れば、自分はそうならないようにしようと思えるので、反面教師の役割も果たしてくれます。
聴いた声の問題点をどこまで判断出来るようになったかで、自分の勉強の進み具合を確認できます。
勉強が進むと、次第により上手い人の問題点がわかるようになって来ます。
でもここで一つ重要な点があります。
それは、生のコンサートでなければならないという点です。
CDなどの録音物を聴いても、本当の声の響き方や声量を判断できません。
響きや音量などは、機械で幾らでも操作できるからです。
録音では上手だと思った人を生で聴くと、がっかりした事が何度もあります。
有名な人だから上手い、という訳でもありません。
日本人は、自分の耳に自信が無いからか、経歴から判断する人が多いですが、プロフィールに惑わされず、実際の演奏を聴き、生の声から自分の耳で判断する事がとても大切です。
持って生まれた楽器である声帯や身体を、作り変える事も取り換える事も出来ません。
それぞれの楽器が違う限り、理想とする歌手と全く同じ声を出すことは出来ないけれど、自分の楽器の機能を最大限に活用し、自分の声の最高を目指すことは、誰にでも可能です。
私もまだ発達途上だと思っています。
皆さんも諦めずに自分の最高の声を目指して頑張って行きましょう。

力を入れる所と脱力するところ
以前、歌を歌うには脱力が大切だ、という事を書きましたが、今日はそれについて、もう少し詳しく書こうと思います。
勿論、脱力ばかりではだめで、しっかり筋肉を使って力を入れる箇所も大切です。
力を入れてはいけないところは、首や肩、顎、胸と勿論喉(喉頭)です。
初心者の内は、大きい声を出そうとして、ついこれらの箇所に力が入ってしまい、頑張った喉声になりがちです。
これらの場所は、リラックスして無駄な力を入れてはなりません。
反対に、しっかり力を入れなければならないのは、お腹、下腹、腰、背中の下辺りです。
力を入れる加減は、その人によって筋肉の付き加減が違うので、何とも言えませんが、概して初心者の女性はしっかりとスポーツでもしている感じで入れましょう。
私は若いころは、一曲の大きなアリアを歌うと、ハーハーゼイゼイと息が上がり、額に汗をかいていたものです。
今から思えば、それはやりすぎでしたが、、、。
それらの筋肉を使って長い間歌っている人や男性なら、少し軽めになってきます。
けれど、高音を出すときは誰でもしっかりと、初心者の方なら重量挙げでもしているつもりで、お腹周りの筋肉を背中側も含めて使わなければなりません。
高音のしっかりした声は脱力して出せるものではありません。
また、高音に限らず歌う場合は、お腹の中でも特に下腹の支えが大切です。
下腹の支えが足りないと、ビブラートが多く聴き辛い声になってしまいます。
高音から低音に音が下がるフレーズの場合、低音の部分の支えが抜けてしまいがちですが、下がる音の箇所でも支えを緩めずにいて下さい。
歌う時は常にいつでも気を緩めず、お腹の支えが抜けないように気をつけなければなりません。



家での練習方法

img_20160202-103157.png練習方法については、過去に書いているのですが、先日生徒さんから質問されたので、再度具体的に書いてみようと思います。
先生のレッスンを録音する大切さについては既に述べましたが、家での練習もすべて録音しながらじっくりと取り組むことが大切です。
勿論、まだ譜読みや歌詞付けの段階で、発声まで気が回らない時は、録音しなくても良いですが、その曲で先生のレッスンを受けようとする頃なら、録音しながら練習する事が大切です。
まず一回歌ってみてから、録音した自分の声を聴いてみます。
するとおかしな所や上手く行っていない所に気づくはずです。
気づけばその原因を考え、どうすれば良くなるかと考えましょう。
考えたら次はそのやり方で歌ってみて、それをまた録音。
次にまたそれを聴いて改善されたかされないかを判断し、改善されていないなら他の方法を試すか、先ほどの方法を修正してみます。 そしてまた録音して聴いてみる。
このように一回ずつ録音しながら地道にコツコツやるしかありません。
つまり、自分の耳が自身の先生となるのです。
そうやって練習するには、耳で聴いて正しい判断が出来なければなりません。
その為にいつもレッスンを録音しておき、先生がそれで良いとか、そっちの方が良いとか、さっきより良いとかおっしゃった自分の歌声を判断の基準にしておきます。
自分で歌って良いと思っても、外から聞くとダメなことが大変多いので、良い声が出た時の感覚というものを体で覚えていくためには、良い声の時、他人からはどう聞こえて、その時喉や体はどうなっていて自分にはどう聞こえるのかを、頭と体に叩き込む必要があります。
こういう練習方法をサボってしまうと、ついつい自分だけの感覚で良いと思う歌い方をしてしまい、正しい道からどんどん外れて行ってしまうのです。
私は今でも、練習時には一回ずつ録音した声を聴きながら自分で判断し修正しています。
定期的に習っている先生がいない私には、この方法しか無く、自分の耳での判断が、すべてなのです。
勿論、以前書いたように録音機器の性能には限界があるので、微妙な差は分かりにくく、どうしても判断に困る場合もあります。そんな時は信頼のおける人に聴いてもらい、どちらが良いのかアドバイスして貰っています。
まだ声が定まらないうちは、先生に定期的にレッスンして頂き、的確なアドバイスを貰うことが不可欠なのです。
自分だけで録音もせずに歌っていると、ベテランの声楽家でも次第におかしな方向へ行ってしまうものなのです。
勉強途中の皆さんは、先生の助言をしっかり聞き、独りよがりになることなく、地道にコツコツ勉強して行って欲しいものです。
発声には決して近道はありません。
 

本番は最高の教師

今まで家での練習の大切さを色々と書いてきましたが、レッスンよりも練習よりも一番勉強になるのは、何と言っても本番の演奏です。
本番の演奏では、演奏者は、勿論一番良いパフォーマンスを出そうと頑張ります。
家や先生宅のレッスンより気合が入るし、少しでも上手く歌えるようにしたいと、努力するはず。
つまり、今まで勉強したことを、すべて試すはずなのです。
その上での演奏の結果は、とても貴重な実験結果なのです。
実験ですから失敗もするし、目出度く成功することもあるでしょう。
失敗しても、そのデータは次の研究に役立ちます。
演奏会で自分はどういうやり方で歌おうとしたか、途中で何かに気づき修正しようとしたかしなかったか、上がっていたか落ち着いていたかなど、出来るだけ客観的に自分がやった事を思い出すことが大切です。
そしてその結果、聞き手にはどういう風に聞こえたのか、その情報を出来るだけ沢山、正確に集めることが必要です。
そしてデータとして集積していくのです。
でも普通は、聞き手は悪かった点は話さない物です。
何か言うと傷つけるように思うのか、実際よくわからないのかもしれませんが、「良かったよ。」の一言で終わることが殆どです。
そこをひるまずに、とことん聞きだす事が重要です。
何でも良いので、良かったことよりもダメだったことを聞きだしてください。
そうは言っても、全く歌や音楽が分からない人に尋ねても、なかなか思うような答えは返ってこないでしょうから、聞く耳を持った人に聴いてもらうことがとても大切です。
そうやって意見を集めていると、たぶんこういった事に気づくことがあるでしょう。
それは、自分が割と上手く行ったと思った時の意見は余り良くなくて、今回はダメだったなあと思う時に案外良い評価があったりするという事です。
これが大事な事なのです。
その時に自分を信じるか他人の耳を信じるか、どちらを選ぶかが歌の道の分かれ道なのです。
私はいつも、他人の意見を大切に、聞き逃さないようにして来ました。
自分としては、これはダメなやり方だった、と思っているのに思いがけず良い評価を貰った時こそがチャンスです。
次への飛躍への大きなヒントになります。
今では、自分が良いと思うやり方で歌った時と聞き手が良いと言って下さる事が食い違う事が無くなりましたが、昔は自分と他人の評価が食い違う事が多くて、歌うたびにそれが悩みの種だったものです。
自分が良いと思う歌い方で歌い、他人の評価も相応に良かったとき、その発声法は間違っていないと言えると思います。



高音の場合の上の響きの重要性と咽の開きについて

以前に上の響きを着けるためには、ハミングが大切だという事を書きましたが、今日はそれに関連して咽を開ける時の注意点を書いてみます。
いつでも歌う時には常にハミングを意識していなければならないのですが、咽を開けるとハミングが外れてしまいがちです。
でもそれは当たり前ですね。
ハミングの時は咽を開けませんから、開けてしまうと下に引っ張られて、響きが下がってしまうのです。
ですから、ハミングが下がらないように、いつも注意しながら響きが下がらないギリギリの所で咽を開けて歌う必要があります。
要するに、上と下に引っ張り合っている感じです。
高音では、ハミングもとても高い位置にあるのですが、咽も口も大きく開いて歌わなければならず、そうするとハミングの響きが落ちて音程が下がりそうになるので、大変難しいのです。
そうならないように、咽をあまり開かず、口も小さ目でハミングの辺りだけの感じでひゃーっと声を出すことも出来ます。
現にそうやって高音を出している人はとても多いですね。
でもそのやり方では、力の乗った輝かしい高音のフォルテは出せません。
細くてか弱い、ただ高い音が出ているだけの、何とも言えないぺらぺらの声が出るだけなのです。
世界の一流のテノールやソプラノのような圧倒される高音の輝きは、その方法では出せないのです。
私は若い頃、高音はただやみくもに体に力を入れて、咽も口も大きく開いていましたが、音はぶら下がり声は散り、頑張っている割に飛んで行かない、何とももやっとしたこもった声でした。
咽や口を大きく開けるといつもそうなるので、一時は咽も口ももっと狭くした方が良いのではないかと思って悩み、実際にそうやって歌ったこともあったのですが、録音した声を聴くと、良くなった点もあったのですが、やはり何か違う納得できない声だったのです。
色々試行錯誤した結果、高音ではやはり咽は開き、口も大きく開くけれども、上の響きは決して落とさないようにハミングを死守するという事が分かったのです。
ずっと上手く行かなかったのは、ハミングの場所が下がっていた為でした。
コロの場合の超高音は、咽を開くと音程が下がりやすく難しいですから、始めに書いたお手軽な方の発声をしてしまいがちですが、そうすると高い声は出ることは出るのですが、本物とは全く格が違う安っぽい声になってしまいます。
特に日本では、「有名で活躍しているから上手い人なのだ。」とはとても言えない状況ですから、世界の一流の人の声をまず何人か聴き、本当に良い声とはどんな種類の声なのかを自分が知ることが大切です。
人の声は生まれついたもので、楽器はそれぞれ違いますが、良い発声法で歌われる声は同じ種類の響きを持っています。
そして、それはそれぞれの声帯(喉頭)という楽器に余程致命的な欠点が無い限り、後天的な発声法の勉強で身に着けられる響きなのです。



自分に聞こえる声と他人が聞く声

これまでに、自分で自分の声を歌いながら聞く場合と、他人が聞く場合の違いについて書いた事がありますが、今日はその点について、もう少し具体的に述べて行こうと思います。
生まれて初めて、録音された自分の声を聞いた時には、誰でもびっくりして、ちょっと戸惑うのが普通でしょう。
けれど、歌の練習を全て録音して、それを聴いてまた練習、という事を繰り返すうちに、自分の声にも慣れてくるので、初めての時のような違和感は無くなってくるものです。
そして、段々緊張感も無くなり、大体分かったからと、録音して聴くという事もしなくなってくると、次に大きな落とし穴がまっています。
例えば、咽を開く方が良いからと、その事に集中すると、声はどんどん太く立派になった様に自分に聞こえてきます。
そして、いかにも体が立派な外人のオペラ歌手が出すような声になって来たようだと、嬉しくなってきます。
声をしっかりお腹から出せとか、息をしっかり回せとか、ホールの最後方まで届く様に、なんて事を先生から指導されていたら尚更、「いいぞいいぞ、そんな感じになってきた!」みたいな声です。
そして、張り切ってレッスンに出かけると、先生からは「今日はどうしたの?声は散っててぼんやりしてるし、ざらっとしていて全然綺麗じゃないわよ!」というようなお叱りを受けるのです。
シュンとなって、それならと、次はもっと咽を狭くして息も余り吐き過ぎないように歌うと、自分にはその方が何だか自然で綺麗な声に聞こえてきます。
言葉もはっきりしてるし、歌うのも楽。
「ひょっとしてこの方が良いのかも!前のはごっつすぎたし、これに違いない!」とまた張り切って練習します。
ウキウキとレッスンに出かけると、「いったい今日はどうしたの?口先だけでちっとも響いてないし、身体も使えていないし咽も開いてない。宝塚の人みたいな歌い方ね!」と先生から厳しいお言葉。
またまた、がっかりして帰る事になります。
何を隠そう、これらは私が若い頃、実際に先生から言われた言葉です。
その頃はレッスンも録音せず、勿論自分の練習も録音などした事がなかったのです。
いったいどうすればいいのか分からず、レッスンの度に途方に暮れていました。
その頃は、自分の発声のどこが悪いのか、全然わかっていなかったのです。
先生がおっしゃる事を真面目にやっているのに、先生からはいつもダメだと言われることが続き、本当に落ち込んでいました。
昔の先生は皆、具体的に発声の方法を教えて下さることは無く、抽象的で、観念的な言い方が多く、悪い点を指摘して下さるだけで、具体的に身体の各部分をどのようにすれば改善されるのかは、殆ど教えて下さらなかったのです。
その後、自分で発声の勉強を一からやり直そうと思ってからは、歌う時は必ず録音するようになりました。
自分の声の問題点が、よくわかるようになって来たのは、それからです。
今までの私の経験から言えることは、咽は開けなければいけませんが、開けすぎは締めるのに次いで良くないのです。
自分に聞こえる声の感じから言うと、立派なごっつい声に聞こえる時は余り良くないのです。
どちらかというと、明るくて響きが集まった感じの声に聞こえる時の方が良いのです。
だからと言って、余りにもそちらに偏ると、声に表情が付かず、一本調子になり、歌うのも聞くのも苦しくなります。
ここで気をつけなければならない事は、明るくて響きが集まった声は、前に押した声と良く似ているという事です。
似ているので間違い易く、良いと思って、押した声で歌う人がとても多いのです。
勿論、歌う時は息を吐くのだから、声を前に出す感じは常にあるのですが、喉で前に押すのではなく、咽を開きながら息を身体でしっかり圧力をかけて吐く感じとも言えます。
声を飲み込むような歌い方をする人もいますが、それは間違いです。
声の微妙な違いは、歌いながら自分で判断出来るようなものではないので、発声が確定するまでは、必ず録音して、間違った方向へ進まないようにしなければなりません。
もう一つ、私の経験から確かに言える事があります。
それは、本当に良い声が出ている時は、他人も良いと思うし、自分も良いと確信出来るという事です。
幾ら他人が良いと言っても、自分で歌っていてどうしても納得できない、何か違和感がある、これが良いとはどうしても思えない時は、一見良くても、まだ本当に良い声ではないのです。
ただ、その声には、前よりは良いところがあるのは確かでしょう。
そのような貴重な意見を参考にしながら、コツコツ努力するしか無いのです。



身体を楽器にするという事

先日、ある人と長々と歌や発声について話す機会がありました。
今日は、その時に感じた事を書いてみようと思います。
声楽を勉強するというのは、言葉を変えれば、自分の身体を楽器にするという作業なのです。
ピアノやバイオリンは、始めからすでに楽器として作られています。
楽器としての性能は色々だとしても、始めから音が出なかったり、ある音だけ音が狂っていたり、雑音がするという物は欠陥品です。
ピアノで言うなら、どんなに安いピアノでも、売られている物ならば、すべての鍵盤で音程の正しい、余りむらの無い音が出ます。
けれど、声はそうは行きません。
誰でも声は出せますが、歌を勉強しないのに、低い音から高い音まで響きや音質がむらなく整い、美しく響き、かつ小さな声から大きな声まで自在に出せる人は、ほんのわずかの天才を除けば、いないでしょう。
上手い下手はあっても、声が出せる人なら誰でも歌うという行為は出来るので、歌は楽器に比べると簡単に出来そうに思われがちですが、実は一番難しく、一生かかっても自分の身体を楽器に出来ないままの専門家が、とても多いのです。
私の言う専門家というのは、音楽大学などで声楽を専門に勉強した人たちの事です。
皆さんはびっくりするかもしれませんが、大学という所は、その肝心要の身体を楽器にする方法を、殆ど教えて貰えない所なのです。
声楽は殆どの場合、高校生になってから勉強し始めるので、身体を楽器にする作業は、まだ途中であるにも拘らず、大学に入ってしまうと、既に楽器が出来ているとされて、レッスンが始まります。
未完成な楽器では良い音が出せるはずもなく、音を取って歌う事に精いっぱいで、楽器を作る作業は殆ど出来ないまま卒業するという、何とも悲しい現実があるのです。
勿論、大学の先生方も、ある程度は助言されますが、限られたレッスン時間の中で、発声を教える時間はほんのわずかしかありません。
試験課題やカリキュラムをどんどんこなさなければならず、結局声をどうやって出せばいいのか、つまり発声は分からないまま卒業する人がとても多いのです。
そして、そんな学生が、また声楽を教えたりしているものだから、世の中に間違った声の出し方がどんどん広まって行くのです。
人間の声は元来、楽器になる為にあるのではなく、生命維持と意思伝達の為にあるのです。
大昔、まだ人間が言葉を持っていなかった頃、声は周りに危険を知らせたり、助けを求めたり、敵を威嚇するものであったはずです。
つまり、今の動物と同じです。
原始の声の意味に一番近いのは、人間の赤ん坊の泣き声でしょう。
赤ん坊の泣き声や動物の声は、とても大きく鳴り響きますが、それはその声の意味を考えれば当たり前です。
という事は、人間も原始の時代は誰でも、動物的な鳴り響く声を持っていたはず。
現代社会においては、そういう声の必要性は殆ど無くなってしまい、人は原始的な声の出し方を忘れてしまったのです。
使う事も減り、その為に必要な器官の機能も衰えてきたのです。
声楽的な声は、大きなホールの後ろまでマイクなしに届かなければなりません。
まさに鳴り響くといった声なのです。
つまり、原始時代の動物的な発声方法に、ある意味似ていると、私は考えています。
歌を体を使うスポーツの一種だと考えれば、わかりやすいかもしれません。
スポーツなら筋肉の訓練と練習が必要だと、みんな納得するでしょう。
一流のアスリートを目指すなら、並々ならぬ努力と訓練が必要なのは周知の事実です。
歌も同じなのです。
身体を楽器にするという事は、スポーツと同じように、声を出すために必要な筋肉や器官をバランス良く、そして俊敏に使い、自由自在に操れるという事なのです。
同じ楽器にするなら、安物では無く、高級な楽器にしたいのは誰も同じでしょうが、それには残念ながら、持って生まれた要素が深く関わり、そうも行かないのも事実です。
どの程度の楽器かはともかく、身体を楽器にした上で、音楽的な表現力も必要となります。
これは言い換えれば、楽器が出来てからの奏者として必要な能力です。
つまり声楽は、自分で楽器になり、その楽器を自分で演奏するという、他とは全く違う音楽芸術なのです。
楽器が故障すれば、もう取り替えは利かないし、気に入らなくても一生その楽器と共に歩むしかありません。
そして、スポーツよりもっと難しいのは、歌のために使う筋肉は、身体の内部の筋肉が殆どだという事です。
楽器となるのに必要な身体の部分の内、目で見えるのはほんの一部で、大多数は見ることが出来ないので、コーチ(教師)の真似をすることが出来ません。
生徒は教師が言う事を、最大の注意力と想像力を働かせ、自分で考えるしか無いのです。
そして教師も、声を出している生徒の身体の状態を、耳で聞いた生徒の声から判断しなければなりません。
これが、声楽を勉強するのが難しい、最大の理由なのです。



メモとイラスト

今まで色々な発声の勉強の仕方について述べて来ましたが、今日は勉強する上で大切なポイントを書いておこうと思います。
それは、歌う時には、発声に大切ないくつかのポイントを同時に注意して歌わなければ行けないのですが、それらをきちんと紙に書きだすという事です。
先生にいつも色々と注意されると思いますが、多分その日のコンディションによって、言われることはいつも同じではないと思います。
けれど、先生のおっしゃる事の本質はいつも同じで、毎回言われる大切な事があると思います。
ですから自分には何が足りないか、何をいつも気を付けて歌わなければならないかが、段々分かってくるはずですね。
それをメモに書きだすのです。
勿論、自分で新しく発見したことがあれば、書き出してみます。
例えば、いつもお腹をしっかり使う、息をたっぷり吸う、笑顔にする、などと言った項目を箇条書きにするのです。
コンクールやオーディションの時にそれを見れば、出番の前にも確認できます。
私は、その時その時で大切だと思う項目を書き出しているのですが、勉強するに従って段々内容が変わるので、日付を書き入れています。
ずっと残しておくと、ああ、あの頃はこんな事を思っていたのだとか、こんな事を頑張っていたんだなとか、その時その時で大切だと思う事が違っていてとても面白いです。
発声に迷った時も、昔のメモが思いがけないヒントになったりします。
発声を勉強している途中では、一度に考えなければならないことがとても多いのですが、わかってくると、その多くはオートマティックに動くようになり、気を付けなければならない事は一点か二点になってきます。
発声する時に注意する事柄が少なくなると、歌うのがとても楽になります。
そうなると、いつもちゃんとした同じ響きの声が出るので、本番に不安が無くなります。
初歩の方達や勉強途中の方は、発声で大切な事を、箇条書きにメモしてみる事をお勧めします。
自分の言葉で書いていくと、きちんと整理され、忘れることも少なくなりますよ。
文にするのと同じく、イメージを絵にする事もまた、同様に大切です。
私もメモやイラストや単語の羅列など色々な事を、楽譜に書き込んだり、別の紙に書いてみたりしていました。
昔の楽譜には、その時の書き込みが残っていて、懐かしい気分になります。



咽を開けるという事

咽をあける事が大切だという事は、これまでも何度も書いてきましたが、開け方が難しいのです。
あくびのように開けると、昔からよく言われてきましたが、あくびの時は、酸素を補給する為に咽は大きく開きますが、歌うためではないので、あくびそのままの開け方をすると、歌には合わないのです。
バリトンやアルトなど、低音域にはそれでも良いかもしれないのですが、ソプラノやテノールなど高音を出す為には、あくびのままでは使えません。
咽を開けるというイメージは、あくびで良いのですが、歌声を出すにはハミングが大切なので、咽を開けると言っても、ハミングの位置が外れない範囲で咽を開けなければなりません。
開けすぎるとハミングが外れます。
歌っている時の感じは、声は上だけで鳴っていて喉に引っ掛かりません。
喉に引っかかると、喉に力が入って動いてしまい、声が震えたり喉声になったりして、上手く声が出せません。
また、良いポジションで歌えている時は、勿論お腹も使っているのですが、特にお腹を使っている感じはしないのです。
発声の注意で、こうしなさい、ああしなさいと先生が言うのは、良い発声で歌えている時の状態を逆説的に述べているだけで、そちらから入ると間違う可能性があります。
言い換えれば、良い発声の時は、こうなっている、ああなっているという状態を先生が生徒に伝えているだけで、そうすればそれで良いという物では無いのです。
けれど、そうなると、どうしたら良いのか分からなくなりますね。
ですから、自分で分かるまでは、先生のいう事を守って、色々と試しながら歌うしか無いのですが、発声が出来てしまうと、その時は殆ど何も意識しないで、オートマティックに声が出る状態なのです。
正しい発声が出来ている時は、咽は開いていますが、特に意識して開けるわけでもありません。
お腹も使えていますが、特に意識して使っている訳でもありません。
特にどこにも力を入れているという感覚が無いので、何もしていないような感じなのですが、決して何もしていない訳では無いのです。
こう書くと、ではどうすれば良いのか、ますます分からなくなるかもしれませんね。
良い発声とは、そういう掴み所の無いもので、結局はその発声が出来るまでは、咽を開けたりお腹を使ったり、息をしっかり送ったりしながら、あれこれ試行錯誤し、もがくしか無いのだと思います。
そうこうしているうちに、ある日突然分かる日が来るのです。
その日を楽しみに待ちましょう。
 

後ろ側を使う

最近、咽や口など上の方の事について書くことが多かったので、今日は身体の下の方、腰や背中を使う事の大切さについて書いてみようと思います。
歌と言えば、腹式呼吸が基本とされていますね。
お腹をしっかり支えるとか、下腹に力を入れるとか、お腹や横隔膜についてあれこれ書かれているのをよく見かけますし、私も繰り返し述べて来ました。
確かにその重要性に、間違いはありません。
けれど、余り言われませんが、腰や背中もお腹に負けず劣らず重要なのです。
歌う時に、何か上手く行かないなと思ったら、背中や腰を意識しましょう。
お腹にばかり気を取られていると、バランスが悪くなり、ついつい前に押してしまう歌い方になってしまいます。
勿論、背中だけでも駄目ですが。
前にも書きましたが、バランスが重要なのです。
口もお腹も目も鼻も、身体の前面にありますから、歌う時には誰でも前寄りになってしまいます。
そのバランスを正常に戻す為に、もっと後ろ側を意識しましょう。
良いポジションは、前でも後ろでも上でも下でもありません。
正しい場所は真ん中なのです。
ハミングは鼻の裏側ですから、身体の中ではかなり上部ですね。
ハミングが大切だからと、それを気にし過ぎると、バランスが崩れて、上だけを意識した、胸から上だけで歌っているような声になってしまいます。
反対に、下腹が大切、重心も落とさなくちゃと思いすぎると、下に偏った重い声になってしまいます。
それでは良い響きの声になりません。
私の考える良い響きとは、明るくてはっきりとした響きと、それよりも少し暗くて深い響きが同時に鳴るような、奥行きを持った響きです。
言い換えると、真ん中に、はっきりとした芯のような響きの集まったものがあり、その回りを柔らかい響きが包んでいる感じです。
大抵の人は一面的な声で歌っているように思いますが、世界の一流の人はそうではありません。
一流の人の声には、クリアーな明るい響きと共に、深い柔らかい響きが含まれているのが分かります。
そして、どこか一方に偏ったような不自然な感じは全くありません。
それなら、何処にも片寄らない、バランスの良い場所で歌う事が、その響きを得る為の鍵だとは思いませんか?



たかがハミングされどハミング

以前から、ハミングの大切さについて何回か述べて来ましたが、教えても歌っても、いつもハミングの大切さを痛感するので、再度述べてみようと思います。
前から何度も書いている様に、ハミングは歌の基本です。
声を出す前に、ハミングで低音から高音まできれいに歌えるように、注意深く練習しなければなりません。
私の教室のレッスンでは、誰でも毎回、息のトレーニングとハミングの練習から始めます。
ハミングは鼻腔共鳴そのものですから、声を出す時は、常にハミングを同時にしているつもりで歌い、鼻腔共鳴のついた声にしなければなりません。
もし、歌っていて何かしら上手く歌えないと思う箇所があれば、その部分をハミングで歌ってみましょう。
もし、ハミングで歌えなければ、声で歌えるはずがありません。
歌えるならば、声を出す時もその感じで歌います。
常にハミングのポジションで歌う、言い換えれば、歌はハミングと共にある、これを忘れてはならないのです。
低音域でもハミングの響きを離してはいけません。
低音域は、ハミングと共に胸部の響きも使わないと、ふわふわとした頼りなくて軽い声になってしまいます。
だからといって、ハミングの響きを離してしまうと、所謂地声になり、強い声になりますが、中音域との境目でガクンと響きの段差がついてしまうのです。
私の経験的にですが、低音域は、胸部の響きとハミングの響きを胸部を多めに混ぜ、中音域から高音域、もっと上の音域と、音が高くなるに従って、次第にハミングの響きの割合を多くして歌うのです。
そんな感じで音の高低に関わらず、常にハミングの響きを付けて歌う事が大切です。
その他、テクニック的に難しくて歌い難い部分も、ハミングを命綱の様にして、離さずに歌うと上手く行く事が多いです。
また、ハミングなら何でも良いというわけでは無く、響きが詰まらず音が喉に引っかからない、すーっと抜けて響く様なハミングになるまで、よく練習して下さい。
ハミングできれいに歌うのは、意外に難しいですが、歌は半分がハミングと言っても良い位なので、侮らずに練習して下さい。



マスケラに響かす、身体から離す。

皆さんは歌の先生から、「もっとマスケラに響かせて。」と言われた事はありませんか?
私は、先生から言われた事は無いのですが、若かりし頃、コンクールを受けた時に審査員の先生からの講評に書かれていました。
マスケラとは顔の事です。
その時、意味は分かりましたが、どうすれば顔に響かせる事が出来るのか、よくわかりませんでした。
けれど、発声を追及している内に、前回も書いたハミングの大切さが分かってくると、マスケラに響かすという事も分かるようになってきました。
ハミングは、明るく軽く前に響くハミングでなければなりませんが、それを練習して行けば、ハミングが顔面に響いているように感じられるようになります。
歌声はハミングを元にしているのですから、顔面に響くハミングになっていれば、声も顔面に響く事になります。
マスケラに響かせてというのは、この事だったのかと、今になって思います。
ですから、勉強途中の皆さんも、今は先生の仰る事が意味不明だったとしても、それをきちんと覚えておくようにしましょう。
勉強を積み重ねて行けば、何年か後に、その意味が分かる日が来るかもしれません。
同様な言葉に、響きを身体から離すという言葉があります。
これも若い頃、イタリア人の先生のレッスンを受けた時に、通訳の方から聞きました。
その時は、響きが喉についていると言われ、もっと喉から離すようにと注意されました。
けれど、どうすれば良いのか全くわかりませんでした。
思いつくことを全てやってみましたが、結局それで良いとは言われなかった様に記憶しています。
それも、今では分かるようになりました。
いつも上手く行くわけではありませんが、良いポジションにきちんと填まった時は、声が身体から離れている様に感じられます。
そうなると、全て自由に思いのままに歌えるので、とても気持ちが良いです。
ただ、これが出来るのは、今のところ自分で練習している時だけで、本番ではまだ完全には出来ません。
リサイタルなどで何曲も歌う場合に、最後の方の曲でそんな感じになった事はありますが、全ての曲が、完全にこれだ!と思えて歌えたことは、残念ながらまだ無いのです。
始めは何かしら体が緊張して力が入る様で、リラックスして歌えるのは、後の方になってしまいます。
ピアノのリサイタルでもよくある事ですが、アンコールが一番良い演奏だったりします。
この二つの言葉のうち、どちらが難しいかと言えば、勿論後者です。
響きがマスケラに上がっていても、身体から離れている様には感じない時もあり、身体から離れて自由に歌える時は、そうそう、これだとはっきり分かるのですが、色々な要素が全てピタッと填まっていなければならないので、とても難しいのです。
色々な要素には、精神的なものや体が元気かどうかなど、直接歌には拘らない事も関係します。
特に気持ちは重要です。
怒っていたり、イライラしていたり、落ち込んでいたりすると、絶対に上手く行きません。
身体のどこかに不具合があり、痛む時も無理です。
ですから、どうしても緊張する本番やコンクールで、全て上手く行くのは、なかなか難しい事なのです。
オリンピックの大舞台で、リラックス出来、実力をいつも通りに発揮出来た人が勝つと、良く言われますが、身体の訓練を積み重ねて練習して、本番を迎える歌もスポーツと同様だと思います。

息を送る、息を回す。
今日は歌う時にとても重要な、息を送るという事について、述べてみようと思います。
歌う時、息を吐いているのは間違いありません。
声を出すためには、息を吐かなければなりませんから、この点は誰に聞いても異論は無いと思います。
ただ、息を吐くと言っても色々な吐き方がありますから、そこは様々な答えが返って来るかもしれませんね。
歌う時には、息が一瞬で出てしまわないように、身体(横隔膜、腹筋、背筋等)で支えながら吐かなければなりませんが、
ここで間違いやすいのは、支えすぎてしまう事です。
支えているのは良いのですが、中には殆ど息が止まっている様な感じで歌ってしまう人もいます。
歌う時には、高音では思いきりしっかり、中音域の弱音でも、身体を使っている事がきちんと意識出来るくらいに、息を送り続けなければなりません。
その時に使うのは、主にお腹周りと背中、腰の筋肉です。
高音域では、つい喉で頑張ったり、上半身で突っ張るようにしてしまいがちですが、決して喉では頑張らず、息をしっかりと、楽にハァーッと吐くのでは無く、支えの抵抗感を感じながら、空気入れの様に強い圧力をかけて吐き続ける必要があります。
高音が喉にガリッときたり、音程が下がりがちになる人は、息の圧力と量が足りない可能性があります。
しっかりと吐いてください。
息を送るという言葉に似ていますが、息を回すという言葉もありますね。
皆さんも先生から聞いたことがあるかもしれません。
これは、前述した吐く息の方向を言い表した言葉です。
息は、真っ直ぐ直線的に前に吐くのではなく、後頭部を通ってから前に抜けるような感じで吐くと良い響きが得られます。
イタリア語ではこれをジラーレと言います。
言葉ではなかなか表現できませんし、具体的にどうすれば良いかを文章で書くのは、とても難しい事です。
こんな感じかな、あんな感じかなと色々と試行錯誤してみて下さい。
息を上手く吐く事が出来れば、歌うのがとても楽になります。



本番は広いホールで

先日、川西音楽家協会の20周年記念定期演奏会が、無事に終わりました。
近年は殆ど合唱やアンサンブルでの出演だったので、今回みつなかホールで久しぶりに一人で歌う事が出来ました(演目は二重唱でしたが、一人で歌う部分もかなりあったので)
その為、歌う度に改良してきた発声法の現在の状態を確かめる、良い機会となりました。
結論から言えば、改良は順調に進んでいる様です。
私のソロでの本番は、そう多くはありませんが、機会のある度にじっくり取り組み、改良して行く時間がある事は、利点かもしれません。
本番が頻繁で忙しい方の場合、その練習とリハーサルに追われるので、自分の発声についてじっくり考えたり改良する時間が、余り無い様に思うからです。
理想を言えば、そんなに演奏の機会が多くなる前に自己の発声法を確立しておくべきなのでしょうが、現実はそんなに簡単ではありません。
さて前置きはこの位にして、何故広いホールでの本番が良いかというと、狭い場所では自分の声がどういう風に響いているのか、良く分からないからです。
発声の違う人が同じ場所で歌う場合、狭い場所では、違うという事は分かりますが、広いホールに場所を変えた時にそれぞれの声がどういう風に違って聴こえるかは、想像するしか無いのです。
狭い場所では小さな弱点と思えるものが、ホールでは大きな欠点へと変化してしまいます。
私は若い頃に何度もそういう経験をしています。
勿論、駄目な方の経験ですが。
声楽のレッスンも、ほとんどの場合、狭い場所で行われます。
ですから、教師は生徒の響きの些細な弱点も、見逃さずに指摘出来なければなりません。
発声の良し悪しを聴き分ける耳が無ければ、生徒の欠点を見逃してしまい、ホールでの本番で、こんなはずでは!!という事になってしまいます。
そして、これが最大の障害なのですが、ホールでの自分の声は、決して自分では聴くことが出来ないのです。
誰か確かな耳のある人に聴いて貰い、その人の意見を信頼するしか無いのです。
録音すれば良いのでは?という声が聞こえて来そうですが、自分の声のホールでの響き方は、録音をしてもよく分からないのです。
まして本番は客席での録音禁止ですし、舞台裏で録音してもホールでの響きは分かりません。
ですから、私はゲネプロなどで客席で録音をする場合、自分だけでは無く、実際に自分の耳で聴いた他の方の演奏も続けて録音させて貰っています(勿論演奏会によっては他人の演奏中は入れないようなゲネプロの場合もあるので、いつも出来る事ではありませんが)
そうすると、実際に聴いた方の響きとその方の録音、そして自分の録音を比べる事で、実際の響き方に近い自分の声をイメージする事が出来ます。
歌い手ごとのホールでの響きの違いが一番よく現われるのが、声の遠くへの飛び方やホール全体に響き渡るようなボリューム感ですね。
その為、よく皆さんが間違ってしまうのが、声を遠くに飛ばそうと頑張ってしまう事です。
そういう事も、狭い部屋では起こりにくいですから、ホールでの演奏はいつも通りにする事すら難しい難物だとも言えます。
逆に言えば、発声の勉強には絶好の機会なのです。
以前に本番はとても勉強になるという事を書きましたが、同じ本番でも響きの良い広いホールでの本番は別格なのです。



息の位置

今日は久しぶりに、ベル・カント唱法のテーマで書いてみる事にします。
暫くお休みしていましたが、私の出演するコンサートが週末に開催されるので、ここの所ずっと本番に向けて練習しているのですが、その最中、自分で再認識した事があるので、その事について書いてみようと思います。
それは息の位置の大切さです。
以前、その事については言及しているのですが、自分で練習していると部屋は狭いし、聴衆はいないしで、ついつい適当になりがちなのですが、歌う時には息をしっかり吸って、胸からお腹までしっかり息で満たされていなければなりません。
けれども吸い過ぎて苦しくなるのは吸い過ぎです。
そしてその息を胸ではなくお腹と共に腰で支えます。
特にウエストより下でしっかり支える感じにする事が大切です。
そういう状態で初めて、ハミングの位置も守られるし、咽も開くし、身体もしっかり使えるのです。
そして喉で力むことも防げます。
息は車で言えばガソリンで、ガソリンが無ければ幾ら優秀なエンジンを搭載していても、車は走りません。
息は声の元ですから、始めにしっかり吸って胴体全体、特にお腹が息で満たされている感じにしておかなければ、良い声になりません。
よく呼吸はお腹でして胸ではしないと言われますが、それは完全な間違いで、息は肺にしか入りません。
ただ、肺は大きいので、息をしっかり吸えば横隔膜が下がり、背中やお腹の辺りまで息が入っている感じがするだけなのです。
しっかり肺に入れた息を、身体で柔らかく支えながら吐いていくのが、歌です。
始めにしっかり吸って、その息を下で保ち、途中の息継ぎでも、始めと同じ息を保ち続けなければなりません。
特に高音の前や、長いフレーズを静かに歌う時には、しっかり吸って下で支える事が大切です。
低い位置に保たれた息のクッションを感じて歌うと、とても楽に歌う事が出来ます。
そのようにして歌うと、息が長く続き、声も楽に伸びるので、その方法が正しいと確信できると思います。
何か歌で行き詰まっている方は、息の吸い方を変えてみると良いかもしれませんね。



日々の練習で大切な事

以前のホームページから数えると三年に渡ってベル・カント唱法について書いてきましたが、今日で一旦終わりにする事にしました。
その時その時で思いつくことを書いて来たので、系統的なメソードにはなっていませんが、今現在の私のテクニックについて、公開出来る事は全て書いてきたつもりです。
もっと具体的な技術について知りたい方は、やはり実際にレッスンに来て頂かないと、文章だけではなかなか伝えられません。
個々人で筋肉の付き方も強さも、理解のレベルも、それまでの経験も様々なので、ここで書いた事柄をそのまま誰にでも当てはめる事は出来ません。
また、私の持っている技術のすべてを公開している訳では無い事も、お伝えしておきます。
勿論、レッスンに来て下さっている方には全てをお伝えしていますが、それでも言葉ではなかなか伝わらないのです。
出来る限り分かって貰えるように、色々な言い方や例え、イメージでお伝えしていますが、実際に手取り足取りお教えしても、身体の内部で起こっている状態は言葉にし難く、相手に伝える事も受け取る事も、共に難しいのです。
けれど、これだけは言えます。
始めは私のいう事が何のことか全く分からなかった人でも、一旦出来ると、正に先生の言うとおりだったと、皆さん口を揃えて納得される事です。
出来るようになれば、全て納得出来るが、出来ない間は何とも分からず雲を掴むような話。
まさに発声法の勉強は、そんな感じなのです。
良い発声の方法が分かる為、出来る為にはどのようにすれば良いか。
それは一にも二にも練習する事です。
寝ても覚めても、発声の方法を貪欲に追及する事しかありません。
先生に教えて貰っている事が出来ていない、または出来ているのかどうかすら分からない人が殆どだと思いますが、先生から言われている事をやっているつもりでも、上手く行かないなら、やり方の何かが間違っているのです。
ですから、正しいやり方が分かるまでは、地道に密度の濃い練習をしなければなりません。
練習の時間配分は、縦えば一日二時間練習するとすれば、私は発声が10分~15分で残りは歌ですが、発声がまだきちんと出来ていない人なら発声に一時間、歌に一時間位でしょうか。
歌の練習をするとしても、ただ何回か通して歌うのではなく、部分に分けて少しずつ歌い、特に上手く行かない箇所を重点的に何度も録音しながら、繰り返す事が大切です。
それも一度に何回も歌うのではなく、例えば口の大きさを変えてやってみる、息の支え方を変えてみる、姿勢を変えてみる、そしてこれが大切なのですが、歌う前に今からどのようなやり方で歌うのかを、声に出して言うのです。
それを二種類くらいずつ録音して聴いてみる。
発声練習も同様に、やり方を変えながら録音して、聴いて確かめながら練習するのです。
聴けば、どちらが良かったかわかりますから、良かった方のやり方を取りあえずの方法として確保しながら、次はまた違うやり方にして歌ってみて、一番良く歌える方法をみつけるのです。
その為には、どうやって歌ったのかを区別する必要がありますから、歌う前にやり方を言ってから歌う必要があります。
このような録音を聴き返しながらの練習だと、一曲の練習でも一時間くらいは掛かります。
私には発声を系統立てて教えて下さる先生がいなかったので、そのようにして長年自分で勉強しながら、今の発声技術を身に着けて来ました。
今の自分はまだ進化の途中だと思っていますから、今後も少しずつ技術を更新して行くつもりですが、生徒の皆さんには、その時々の更新仕立ての方法を、お伝えしています。
ただ、更新といっても変わるのは本当に微妙な個所なので、根本的な方法は揺るぎませんが、、、。
スポーツと同じで、歌でも練習は嘘をつきません。
上手くならない人は、やはり努力が足らないのです。
趣味の方は、楽しむことを優先しても良いと思いますが、専門家になりたい方、プロを目指す方、コンクールなどに挑戦したい方は、コツコツ努力するしか、上達する方法はありません。
今日で一旦このコラムは終了しますが、歌を勉強している方々に少しでもお役に立てれば幸いです。
頑張って下さいね。



特別編  在原先生の声楽レッスン受講

今日は、神戸での在原勝先生のレッスンを聴講して来ました。
このベル・カント唱法のブログは一旦お休みしていましたが、先生のレッスンがとても興味深かったので、特別編として、このカテゴリーに記事を書こうと思います。
在原先生は東京在住で、9月にエレナ・モシュクさんの公開レッスンを聴いた時、解説と通訳をされていた方です。
先生は東京芸大を卒業後、イタリアに長らく留学され、著名なイタリアのテノール達からベル・カント唱法のレッスンを受け、それを熟知している方ですが、帰国後は演奏から離れて世界的な歌手たちやオペラ、オーケストラなどを日本に招聘し、ヨーロッパの音楽文化を日本に紹介する仕事をされています。
勿論イタリア語も堪能で、デヴィーア、ベルゴンツィ、ヌッチ、クラウスなど名だたる歌手の呼吸法、発声法を熟知されているとの事。
その在原先生のレッスンを受ける為に、日本各地から神戸まで毎月大勢の方が集まって来られています。
中には、外国人のテノールの方も何人かいらっしゃるようです。
先生のレッスンは、まずハミングから始まり、次いで母音による幾つかの音型による発声練習と続きます。
先生がおっしゃるには「一番大切なのは咽を開ける事と呼吸の技術であり、やり方が分かりさえすれば、後はひたすらその為の筋肉を鍛えて訓練すれば良いだけ。」
これは私がいつも言っている事と同じだったのですが、口のフォームも姿勢も背筋の使い方も声を出す方向も、全て私がやっている事と同じだったのは、嬉しい驚きでした。
レッスンは1人1時間でしたが、およそ半分以上が発声に費やされ、次に歌に入るのですが、歌も1曲かせいぜい2曲で、その内容も殆どが発声に関する事でした。
そのレッスンのやり方も、私と似ていると思いました。
勿論、発声練習の音型や母音の順序は私と違っていましたので、次からは先生がされていた音型も使ってみたいと思いました。
その他、私の方法とは別の、背筋を使うためのちょっとしたヒントも頂いたのが収穫でした。
今日は、お二人のソプラノのレッスンを聴かせて頂いたのですが、日本人に難しいのはウとオの母音のようでした。
日本語を話す時は咽を開かないので、つい日本語のウとオのような浅くて閉めた感じの声になってしまうのです。
何度もやり直されているのを聴いていて、人のやっているのを聴くと、良い響きと浅い響きの違いが本当によく分かるなと、改めて思いました。
9月のモシュク先生のレッスンもとても為になったのですが、在原先生のレッスンはモシュク先生のおっしゃる事以前の、もっと根本の技術なので、私が長年研究して実践し、生徒さんにも教えてきた発声法が正しかった事が実感でき、とても充実した一日となりました。
7月以来ここ4ヶ月間、孫達と娘達の世話に明け暮れて、ろくろく歌えなかったのですが、今日のレッスンを聴いて無性に歌いたくなって来ました。
週中に次女と孫達が帰宅する予定なので、その後しっかり練習を再開しようと思います。

番外編  日本語の歌とベルカント唱法
このカテゴリーは既に掲載を終了していますが、今月5日に開催した私のリサイタルの経験から思う所があったので、番外編として書いてみる事にしました。
リサイタルでは一部を日本歌曲、二部をイタリア物という構成で臨んだのですが、その練習過程において、かなり悩んだ事がありました。
それは、ベルカント唱法が日本歌曲にはちょっと合わないのではないか、と言う事です。
言うまでも無く、ベルカント唱法はイタリア語を美しく響かせるための歌い方です。
イタリア語と日本語とでは話し言葉の段階でかなり雰囲気が違っていて、日本語は口先でペタンとした浅い響きで話すのに対して、イタリア語は深い響きで体を使ってはっきり話すのです。
特に違いがあるのは、エとウの母音のように思います。
ベルカント唱法では、咽を開いて深い響きを作る必要がありますが、日本語は扁平なので、響きを深くすると言葉が分かりにくくなるのです。
マイクを使えば、口先だけの発音も広い舞台に伝わりますが、マイクなしに歌う声楽では、口先だけの声では無理な部分があります。
日本語の言葉をはっきりさせる為には、響きを犠牲にして浅い声にする必要があり、それは私にとってかなりのジレンマでした。
言葉と音の響きに対しては、歌い手それぞれに思いがあり、どちらを重視するかは、歌い手の考え方によると思いますが、私は声楽も器楽と同じく音楽を楽しむもの、メロディーと音の美しさをを表現する芸術だと考えているので、どちらを取るかといえば音だと考えています。
勿論、歌詞がある歌なら、歌詞が出来るだけ分かる方が良いとは思いますが、例えば外国のポップスやシャンソン、ロックなどが好きな人は、言葉が全部分かって聴いているのでしょうか。
英語だけではありません。
フランス語やイタリア語、韓国語などの歌も大人気です。
歌詞では無く、音と声の響きやリズム、つまり聞いた感じが耳に心地よいから聴き手が喜び、ヒットするのでは無いでしょうか。
歌詞の雰囲気は、曲を聞けば何となく分かるものだし、歌詞が分からなくとも良い曲だ、素敵な歌だとみんな感じています。
歌っている本人は、歌詞が分かっているので、そういう気持ちになって歌詞を伝えようとしているに違いないし、それが聞き手にも自然と伝わって行くものです。
それが万国共通の、音楽という物の本質だと思っています。
器楽は全て、言葉は無く音だけですが、皆気に入って聴いているではありませんか。
器楽では、純粋に音と響きを楽しんでいるはずなのです。
それは声楽も同じではないでしょうか。
だからこそ、歌詞の無い母音唱法の声楽曲も存在するわけです。
その代表的な物が、ラフマニノフのボカリーゼという曲です。
歌詞は無く、ずっとアで歌うとても美しい曲で、人気があり、難曲ですが歌われる機会も多い有名な歌です。
始めに述べたように、ベルカント唱法では日本語の歌は歌詞が分かりにくくなるのですが、私は悩んだ末に、日本語の歌は、響きをある程度保った状態で、ほんの少しだけ浅めに歌い、子音に気を付けて歌詞が分かりやすくなるようにしました。
私が一番大切にしている響きを犠牲にする気には、なれませんでした。
ただ、アンコールで歌った日本語の二曲は、曲の音域も低く、一曲は完全にポピュラー、もう一曲もポピュラーの様な雰囲気の曲だったため、一部で歌った日本歌曲よりもっと浅めに、言葉を優先して歌いました。
ただ、その発声は音域が低ければ可能ですが、高音は浅い響きでは歌えないのです(だからポピュラー曲の音域は狭いのです。)
その結果、言葉は一部で歌った日本歌曲よりはっきり分かったので、アンコールが良かったと言う声があったのは確かです。
日本歌曲は、割り切って全てそのように浅めに歌ってはどうか、という意見も頂き、私も迷っています。
折角歌詞があるので、器楽と違い詩を通しての表現も出来るのが声楽です。
その詩を軽んじて良いわけはありません。
けれど、発声を、同じ舞台で曲によって変える、危険性と難しさもあります。
二種類の発声を使い分けるには、練習中も大変な注意深さと集中力を必要とします。
この問題は、はるか昔から歌い手が悩まされている難題なので、私の中ではまだ結論に至っていません。
これから日本歌曲を歌う機会も増えるでしょうし、常に試行錯誤しながら納得できる妥協点を見出して行こうと思っています。

番外編 背中で歌うという事
暫くベルカント唱法のコラムの記事の掲載はお休みしていましたが、最近自分が歌っていてつくづく感じる事があるので、自分への備忘録も兼ねて文章にしておこうと思います。
昔、20年以上前になりますが、友人と一緒に発声の方法を研究していた頃、ある有名なイタリアでのコンクールで優勝したソプラノの方が、テレビ番組で発声のコツについて質問されていました。
その時彼女は「歌は背中で歌うのです。」と答えていました。
その頃、私達はまさにそういう方法に行きついていたので、我が意を得たとばかり、自分たちの方法が正しい事を喜んだものでした。
その後、友人は他の活動に忙しくなり、私は一人で発声法の研究をずっと続けていますが、その間に背中で歌うと言う事を少し疎かにしてしまっていました。
研究している内に新しい方法を見つけると、ついそちらに気持ちが向いてしまい、前にやっていた事が疎かになるのはよくある事です。
昨年春、6月のリサイタルの練習をしている頃、年齢も年齢なので次第にアリアの高音が出しにくくなっていて、高音の発声に苦しんでいましたが、いろいろ試行錯誤している時に、背中で歌うという事を疎かにしていた事に気が付いたのです。
若い頃は、少し位間違った方法で歌っていても、音を出すだけなら高音も楽に出るし、まあまあ何とかなるのですが、更年期を迎えるころから、次第に声帯に張りが無くなり、声が若い頃より艶が無くなって来る上に、今までは難なく歌えていた高音が出にくくなるのです。
50代60代になっても艶のある良い声で歌い続けるには、正しい発声法で歌う事が不可欠なので、必然的に若い頃以上に発声の勉強が必要となります。
20年以上前に聞いて、自分でも正しいと思った、背中で歌う、という事の大切さを再確認している今日この頃です。
具体的な方法についてはここでは書きませんが、皆さんのヒントになるかもしれないと思い、番外編として書いてみました。
「背中で歌う。」は特に高音の時に大切で、背中で歌わないとしっかりした高声を出す事が出来ないのです。
余りに大雑把な言葉で具体的ではありませんが、高音がしっかり歌えた時に、まさにそうなっている事を皆さんも体感する事が出来るでしょう。



番外編  顔の表情について

本編の掲載は終了していますが、私が練習していて思いついたことや、特にこれは気を付けるべきだと感じた事は番外編として自分の備忘録としても文章にしておきたくて、たまに書き込んでいます。
今日は、歌っている時の顔の表情について述べてみようと思います。
表情については本編でも言及しており、見た目に美しい優しい表情の時に良い声が出ていると書いていますが、単に優しいとか美しいという言葉以上に表情は発声にとって大切な要素なのです。
過去にハミングの大切さについて何度も言及していますが、歌う時には、まさに良いハミングをしている時の表情をずっと維持する事が、呼吸の技術の大切さと同じくらいに重要な事だと確信する様になのました。
つまり、良いハミングをしている時の顔のまま口を開けると、良い響きを出す歌の顔になる、という事です。
ハミングの時と歌う時とで顔が変わる人が殆どだと思うが、勿論発音によって多少変わるのは仕方が無いが、良い響きを得ようと思うならば、歌っている時の顔についてもっと考える必要があるだろう。
何故か音程が下がる、高音が上手く歌えない、響きが暗い、こもるとかなどの原因が表情にある事が多いのです。
前にも1にハミング2にハミングと書いていますが、今またハミングの重要性を再認識している今日この頃です。


番外編 息を送る、息を流す。
皆さんは、息を流すとか息を送るという事を聞いたことがありますか?
私は、以前本編の中でこの事に触れていますが、大変誤解しやすい言葉なので、もう一度詳しく書く事にしました。
声楽の勉強がある程度進み、イタリア歌曲やオペラのアリアを歌うようになると、先生から息について言われるようになると思います。
日本語でこれらの言葉を聞くと、息をしっかり吐く事だと思ってしまいますね。
実際、歌は息を吐いて歌うので、当たり前でしょと思うかもしれませんが、実はこの言葉は、かなり危険な言葉なのです。
普通に息を吐きながら歌うと、ろくなことになりません。
息が足りなくなってすぐに苦しくなる、声はクリアーでなくなり息の混じった所謂息漏れの雑音がする、声帯がすぐ疲れて長く歌えない、声がかすれてくる、音程が定まらずふらふらする等、困った弊害がてんこ盛りです。
これと同じように誤解されやすい言葉で、「声を前に」があります。
声を前に出そうとすると、喉が閉まって喉声になり、硬くて聞き辛い声になってしまいます。
だからといって、こもらせるような声も駄目ですね。
この二つの言葉は、若い頃の私もよく騙されて、間違った方向に行ってしまった言葉なのです。
この二つの言葉の正解は、一つ目は息を前に吐かずに後方から前に息を送り続ける事、これをイタリア語ではジラーレと言います。
これは聞いたことがあると思います。
二つ目は声を前に出そうとせずに、前に出る声を出せという事です。
その為にはどうすれば良いか。
それはとても難しいし、文章で書ける事ではありません。
強いて言えば、前に出そうとはしないがしっかり体を使う、でしょうか。
どちらも身体の感覚なのです。
感覚ですから、常に正解のポジションに居続ける事が難しいのです。
私も時々間違えそうになる位微妙です。
皆さんもくれぐれも罠に落ちないように気をつけて下さい。
単に息をハーッと吐いて歌えば良い声が出るなら、歌なんて簡単過ぎるじゃありませんか。
そんなはず無いですよね。


番外編 発声の基礎の基礎
先日、声楽科への進学に関して進路を悩んでいる男子高校生の事をブログに書きましたが、その中に、私が教えている基礎の基礎の技術を、彼が今まで習った先生達から全く教えて貰っていない事が驚きだった、と書きました。
声楽コースへの入門者の内、レッスン経験者は少数派だが、その中で私が教えている様な基礎の基礎を全てきちんと習ったという人は、記憶のある限り皆無です。
ただし、私が基礎の基礎としている技術内容の中の一部は習った、という人はいました。
ただ、習ったと言っても、具体的なやり方は教えて貰っていないのです。
ここまで来ると、何故こんなに重要な事を声楽指導者は教えないのだろうか、という疑問がわいてきます。
そこで、私なりにその答えを考えてみました。
①その先生が、それらの事を全く習っていないので、教えられない⇒自分でも出来ていない。
②習った事はあるが、やり方をしっかり教えて貰っておらず、自分ではきちんと出来ないので、教える自信が無い⇒自分でも出来ていない。
③始めから出来ていたので、先生からやり方を教えて貰っていない⇒勝手に始めから出来ている事なので、それを教える事が大切だと思っていない。またはどうやって教えたらよいか分からない。
④大切さは分かっているが、生徒にどう伝えたら良いかが分からないので、教えていない⇒自分は出来ている
⑤音大志望者には教えるが、趣味の人にはそのような技術は教えていない⇒自分は出来ている。
⑥知っているし、やり方も分かっているが、面倒だし時間と手間がかかるので教えていない⇒自分は出来ている。
ざっとこんな感じでしょうか。
多くの声楽の指導者が基礎の基礎を教えない理由は、この5つのパターンの内①か②か③が多いのではないかと思います。
①と②は単に音楽大学の声楽科などを卒業し、コーラスや街の教室で教えている先生に多いと思われます。
③は有名な声楽家で、大変立派に歌えて現役で活躍している先生に多いように思います。
私も学生時代、私が基礎の基礎の技術として欠かせないと思っている、咽を開ける、息の支えと身体の使い方、ハミングの大切さの中で、咽を開くと身体を使うは教えて頂いたが、息の支えとハミングについては全く言及すらされませんでした。
教えて頂いた2つも、具体的なやり方までは教えて頂けなかったので、自分であれこれ考えてやるしかなかつたのです。
昔はどの先生も、そういう指導のやり方でした。
だから、低音から高音まで自在に操れ、ピアノもフォルテも思い通りに出せて、常に良い響きの立派な声で歌いたいという願いを叶えるには、その方法を自分で探すしか無かったのです。
色々な先生のレッスンを受けた時の、言葉の端っこにあるほんの小さな示唆や、沢山の書物、録音、生のコンサート、放送などからヒントを集めまくり、一つ一つを友人と一緒に試しながら検証する毎日を過ごしました。
新しい物を構築するには、自分が今やっているやり方を全て捨て去り、正しいと思った方法で一から組み立て直して行く必要がありました。
分かったと思ったら、また付け加えたり外したりの連続。
正しいやり方がどういう物か、全く分からない中での二人での手探り状態は、大体これで良いかという形をみつけるまで、10年以上続きました。
その後は、一人でコツコツと少しずつ更新しながら、研究を始めて早30年が経ちます。
理想の声を目指して、今でもずっと更新しつづけていますが、苦労して一から組み立てた基礎の基礎の技術は、私の中では揺るぎません。
共に苦労した友人も同じです。
発声の技術について今でもツーカーで話が合うのは、この友人だけなのです。
私の経験から言えるのは、発声の基礎の基礎は出来なかったり歌えなかったり悩んだりして必死に追い求め、自ら掴んだ先生に習うのが、お勧めだという事です。
出来ずに悩んで掴んだ人は、出来ない人の気持ちも、何故出来ないか、どうすれば出来る様になるかが、始めから出来ている人より分かるからです。
始めから殆どが出来ていて、歌の才能が早くから認められる人も確かにいます。
けれど、そういう人は元々勝手に出来るので、人にやり方を教えるのは苦手です。
私は昔、高音が苦手で、楽々と歌える友人にやり方を尋ねたら、「キャーッ!」と叫び声を出す時と同じだ、と言われたのがその良い例です。
私にすれば、そう言われても、高い叫び声ってどうやって出すのかという大きな疑問が増えただけでした。
発声のやり方が分からず悩んでいる方達に、これだけは伝えたいです。
長い道のりかもしれませんが、諦めずに貪欲にコツコツ追及し続ける事。
そうすれば、道は自然と開いて行くに違いありません。


背中で歌うという事。
久しぶりにこのカテゴリーに、本編として記事を書いてみる事にします。
というのは、今私は11月に開催されるコンサートに向けて練習をしていますが、その過程で以前この欄の番外編に書いた背中で歌うという事が、以前にも増して重要だと感じているからです。
以前の私は、お腹や胸と言った前側と、腰や背中といった後ろ側は同じくらいに重要で、前と後ろのバランスが大切だと思っていましたが、最近練習している内に、いや待てよ、同じ位では無く後ろ側の方がずっと大切じゃ無いか、と思い始めて来たからです。
ちょっと響きが引っかかるような箇所があれば、もっと背中を使うようにすると大抵上手く行くし、1オクターブ以上の難しい跳躍後の高音も、背中と腰のコントロールで上手く決める事が出来るのです。
勿論、とても微妙なタイミングで他の技術も複合しなければならないので、大変難しいのですが、上手く行く確率がかなり上がって来ました。
けれど、ここに落とし穴がある事も経験上分かっています。
これに限らない事ですが、今までも何か新しく発見すると、嬉しくなってそればかり考えてしまい、結局他の事が疎かになり、上手く行かなくなる事がありました。
正しい事も、やり過ぎは禁物。
他の大切な事を疎かにせず、背中と腰に意識を持って行く必要があります
もう一つ、私がこのところ大切だと思っているのは、最近生徒さん達にも毎回言っているのですが、音程が変わっても常に同じポジションをキープする事。
分かりやすく言うと、低音も高音も真っ直ぐ同じ位置を目指して歌う事です。
普通、音が上向したり下降したりすると、それと一緒に発声の意識も上に上がったり下に下がったりしてしまいますが、それは駄目で、常に真ん中の同じ位置をキープする事が大切です。
言葉で書くと何のことだか分からないかもしれませんが、実際私は、この表現でしか書けません。
この技術を習得するには、同じ母音でオクターブの跳躍練習をすると良いでしょう。
低音を出したそのままで高音に入るようにすると上手く行くが、高いと思うと喉も咽も閉まってしまい、上手く行かない。
ただ、跳躍練習で例えば上のC、H、Bが上手く出せても、次はいきなりその高音から同じように出してと言うと、殆ど皆、跳躍で出した声とは違う響きになってしまう。
自分でやっていても、何故そうなるか、さっきと何処がどう違っているのかが分からないのだ。
声楽の技術、つまり発声法とはこの様に難しいのです。
また、たとえやり方が分かっても、いつも必ず出来る訳でもありません。
発声法は身体を使う技術だから、スポーツの最高難度技と同じような物かもしれません。
だから探究し甲斐があるし、上手く行く確率を上げ、完璧でなくとも、ある程度のレベルの歌がいつも歌えるように努力し続けなければならないのです。


番外編 発声で重要な三大要素
今まで私はベル・カント唱法で歌う場合の大切な事柄について、色々な角度から述べて来ましたが、ではそれらの中で一番大切な重要な事柄を三つ選ぶとすれば何だろうかと考えてみました。
私も未だ勉強中の身ですが、これまで研究してきた中で今一番大切な三点を挙げるとすれば、ハミングを常に意識する事、お腹や背中や腰などの体をしっかり使う事、そして喉を開ける事、この三点でしょう。
次いで呼吸のコントロール、脱力と支えのバランス、口の開け方でしょうか。
これら六点が大体上手く行っていれば、ある程度の声が保証されます。
少しポイントずれていたり足らなかったり強すぎたりしても、誰もが分かるような不調な声にはなりません。
けれど、この六点を六点同時に正しいやり方で行うためには弛まぬ努力を長年続けなければなかなか身につかないのも事実です。
勿論、世の中には特に勉強せずとも始から勝手に素晴らしい声で歌える人たちが存在します。
それらは天才の話であって、凡人は努力するしかありません。
また、始から歌える人は、自分が何故立派な声で歌えるのかが余り分かっていない人が多いものです。
歌おうと思えば勝手にそういう声が出るのだから、それは分からないでしょう。
だから、そういう人たちは歌い方を他人に教えることが苦手です。
苦労してコツコツ勉強した人や、努力して発声法を磨いてきた人の方がやり方がよく分かっているのだと思います。
ただ、歌は人の身体で行う事なので、体格や筋肉のつき方などが個人個人でかなり違ってきます。
だから、先生の言う事がぴったり誰にでも当てはまるとは限らないのが、発声の難しい所です。
生徒は先生の言葉を聞いて、言われたことをしなければなりませんが、先生の言う事柄の程度については個人個人で変えてみる必要があるかもしれません。
例えば口の開け方や体の使い方の程度です。
口は個人で大きさが異なり、筋肉の付き方や筋力も異なります。
だから、そのあたりの事柄は自分と違うかもしれないと考えて、調整してみることも大切です。
今まで私の文章を読んでいて下さった方のために、発声に重要な三点と次に重要な三点を挙げてみましたが、それらの個々のやり方については過去の記事を参照してください。
勿論、良い声が出る事=良い演奏ではありません。
良い声が出たうえで、人の心に伝わる演奏表現が出来てこそ良い演奏と言えるでしょう。


無駄な力は要らない
今日は久しぶりに本編の内容を書いてみようと思います。
今年の8月に1時間ほどのコンサートが予定されているので、2月にプログラムを決め、今は少しずつ練習中です。
昨年の11月に大きなアリアを歌ったのですが、その練習をしている時に気づいた事を発展させて歌っているうちに、身体の脱力が大切である事に今更ながら気づかされました。
元々脱力が大切なことは分かっており、脚や首、肩、上半身の脱力は意識して歌っていたのですが、練習して行くうちにお腹周りや背中や腰も、今までより少ない力しか必要無いのでは、と思えてきました。
勿論高音でのフォルテの時にはしっかりと体を使いますが、決して無駄に頑張る必要は無い。
無駄に力を入れずに良い響きで歌える声のポジションがあり、そこにハマってさえいれば、びっくりするほど楽な体でもしっかりした良い声で歌えるのだ。
長年歌っている間に何度かこういう感じで歌えた事があるが、それは殆ど偶然であり再現不能だった。
そのポジションは、口や咽を縦方向に意識する事が極めて大切で、響きを真っすぐ真ん中に捉える事と脚の脱力が必須です。
息も普通に吸うというか、さあ歌うぞといった気負いや準備といったものも特に要らない気がする。
この歌い出しの身体の感覚は初めてなので、私自身少々面食らっているのだが、大切なのは上下と前後のバランスだ。
言葉ではとても表現できないが、これまで私がこのブログで書いていたように体全体の絶妙なバランスの上に成り立っている。
けれど、今私がやっている事を声楽初心者の人に教えるのは、大変無謀だと思います。
何故なら、この状態を一言でいえば、何もしないというのが一番近いからです。
これまでにも歌っているうちに何もしないような状態になることがあり、その時は良い声で自由にのびのび歌えるのだと、このブログに書いたことがあったが、まさに歌い出しからその何もしない状態なのです。
もっとも、高音に関しては何もしないという訳には行かない様です。
今の所、高音の力の使い方を色々と試している段階です。
これからコンサートまでの練習を通して、最適な体の使い方をもっと突き詰めて行きたいと思っています。


高音の発声 その1
前回のブログで、発声は体の脱力が大切という事を書いたが、勿論それだけではありません。
私が今まで書いてきた全ての事をやりつつ、無駄な力は入れない事が大切なのです。
前回、高音の場合はどのように力を入れるかという点がまだ自分の中で解決されていませんでしたが、あれからずっと練習していて、自分の中ではっきりしました。
それはやはり、高音は中低音に比べてしっかり体を使うという事です。
つまり、より力を入れるか入れないかと言えば入れると言うのが正解。
けれど、力を入れる事が目的ではなく、しっかり開いた咽と口からしっかりと息を送り出す事が目的です。
息をしっかり送り出そうとすると強い腹圧が必要なので、結果的にお腹や腰や背中に力が入るのです。
高音のフォルテを出すときは、身体に力を入れることを意識するのではなく、しっかり息を送り出す事だけを意識すると良いでしょう。
そうすれば、身体は勝手に動いてくれます。
けれど、ここで誤解のない様にして欲しいのです。
この様に書くと、身体は脱力した上で息を送り出そうとしてしまいがちだが、そう単純なものでは無いのです。
私がこれまでに書いてきた色々な事を全てやった上で、無駄な力を入れないで息を送り出さなければならないのです。
長年歌い続けてきた私でも、本番を歌う度に練習を通して新しい発見があります。
全く声楽の世界は奥が深いものだと、驚くばかりです。


高音の発声 その2
先日、高音の発声について息を送るためにしっかり体を使うという事を書いたが、もう一点補足しようと思います。
それは、高音を高いと意識しない事です。
大抵高音はオペラのアリアの最後に出てきて劇的に盛り上げたり、歌曲の途中で山を作る場面に出てきますが、高音の前は必ずそれより低い音です。
一オクターブ以上跳ぶ場合も中にはありますが、3度とか5度とか低い音から高音に跳躍して入る場合が殆どです。
ここで大切なのは、直前の低い音です。
低い音を歌っている時のポジションのまま、上下に開いて真っすぐ高音に入ることが肝心です。
こんな時、次は高いぞと思って上のポジションに入ってしまい、響きが細くなったり声のボリュームが減ったり、音程が下がったりするのです。
上のポジションを取ったのに音程が下がるとは不思議ですが、高音を正しい音程で前の音と同じ響きで歌うには、下の響きがとても重要なのです。
言葉にするのは難しいので詳しくは書きませんが、上の響きと下の響きが同時に出ている感じです。
その上で、息をしっかり送るために体を使うのです。
文章を読んだだけで直ぐに出来るとは思いませんが、これをヒントにして自分であれこれやってみて欲しいのです。
私も自分であれこれ試してみたので、分かってきたのです。
ただ、発声が難しいのは、一つや二つだけやってもダメな事。
一度にやらなければならない事が数多くあるのです。
まずは基本が出来てから今日書いた事を試して欲しいです。
また、声帯や咽や首に力が入らないようにするのは基本の基本ですが、殆どの人はそれが余り出来ていません。
声帯に力が入っていては良い響きで歌う事は絶対に出来ないので、まずは咽や首、声帯の脱力に取り組んで欲しいです。


本番で履く靴について
先日、無事にソロリサイタルを終えたばかりだが、その練習経過を通じて、とても重要だと思えるポイントがありました。
それは、靴のヒールの高さです。
私は常々本番で履く靴を履いて練習するように生徒にアドバイスしており、私もそのようにしていますが、今回のコンサート用に考えていたドレスを着るのは初めてだったので、コンサートの二週間前くらいにパニエの大きさや靴を履いた時の丈の確認をしました。
すると3センチほど丈が長く、少し引きずるのです。
丈直しも考えましたが、面倒だったし費用も掛かるので、靴をもう少しヒールの高い物にしようと思い、ずっと練習で履いていたのとは別の靴を使う事にしたのです。
けれど、別の靴を履いて歌うと、どうもしっくり来ない。
その靴を履いて歌ったことは以前にもあるので、暫く使えば慣れるだろうと思ったのですが、一週間経っても違和感が消えないままだったので、試しに靴だけ履き替えて同じ曲を2回歌ってみると、出てくる声が違う事が確認できたのです。
その為、やはり始に予定していた靴を履くことにし、急遽ドレスを丈直しに出したのが本番の8日前でした。
直しに7日掛かるので、本番の前日の仕上がりとなりました。
丁度よい丈に仕上がり、本番は違和感無く歌えたのですが、今回つくづく感じたのが靴の高さの重要性です。
いつも履いている靴で本番を迎えるのが良いのは、まあ分かるとして、良いパフォーマンスの為には靴のヒールの高さその物が関係するのでは無いかと思えたのです。
靴の高さには厚底か普通かという要因もあるので、一概にヒールが何センチとは言えませんが、結局どの程度前に重心が移動するかという点が重要なのだと思います。
今回私の場合、最初の靴のヒール部分が7センチ、前が1センチだったので、実質のかかとの高さは6センチ。
変更しようとした靴はヒール部分が9センチ、前が2センチだったので、実質のかかとの高さは7センチ。
たった1センチの差ですが、後者の方が少しだけ重心が前に行きます。
それだけで歌う前の身体の状態や息の支え方が微妙に変わるのです。
私の場合、ペタンコのスリッパやかかとが2センチ~3センチの靴より、ヒールが6~7センチ程度の靴の方が歌いやすいのは以前から感じていました。
今回本番で使った靴はとても歌いやすかったので、私には実質のかかとの高さが6センチの靴が合うのかもしれません。
もっとも、始から踵の高い靴で練習していれば、それに応じた対応が出来ていたのでしょうが、一週間程度では無理だっただけかもしれないのですが、、、。
結論として、今の所は靴の高さは歌のパフォーマンスに大変影響し、低すぎても高すぎてもいけない、としか言えません。
最適な高さは人により違う可能性があるので、何センチが絶対に良いとは言えませんが、以前のコンサートで割と上手く歌えた時も(今回とは別の靴だったが)実質のかかとの高さは6センチだったので、私にはこの高さが良いのだと思います。
皆さんも本番で履く靴の高さをちょっと考えてみては如何ですか。


高音の発声 その3
以前この題で高音はその前の音からまっすぐ縦に咽や口を開いて、横隔膜を下げて背中も使って出すという事を書きましたが、今日はもう一つの要点を書こうと思います。
歌う前にまず息をしっかり吸って(お腹だけでなく胸にもしっかり入れる)そして、その息を胸では無くお腹で止めて保持するのですが、その時にしっかり吸った息を腰から背中の方まで使って下の方に押し込むようにする感覚が大切です。
そしてそのままずっと歌う続けていくのですが、ここぞという高音の前にブレスをする事が多い事は皆さん経験済だと思います。
そのブレスをした後の一瞬の間に、身体を上に書いたような状態にしておく事がとても大切なのです。
高音の前のブレスは重要で、しっかり吸わないと声が出せませんが、しっかり吸ってもそれが高い位置で保持されているままだと、力の乗った良い響きの声は出ないのです。
歌うときは始めに述べた息の位置で歌っているのに、高音の前になると焦ってしまってただ息を吸い込んだだけになっている人が殆どではないでしょうか。
高音がどうしても上手く行かない方は、直前のブレスの仕方をもう一度確認してみる事をお勧めします。
常に体は同じ状態を保ちつつ歌う。これがとても大切です。


今回の本番で確認出来た事。 
一昨日大きなホールでの本番があり、イタリア歌曲とオペラアリアを歌ったのですが、いつも本番を迎えると改めて確認したり発見したりする事があります。
今回もこれまでに書いて来た靴のヒールの高さや息の位置、腰や背中の使い方、口の開け方が正しいと確認できた事は大きな収穫でした。
普段の練習でいくら録音をして確認していても、大きなホールで歌うと立ち方から変わってしまいます。
客席が前方上方に上がっている為、つい姿勢が上の前寄りになってしまうのです。
まずヒールの高さですが、夏のリサイタルで最適な高さの靴を履くと上手く行く事が分かっていたにも関わらず、ドレスの丈の関係でもう少し高い靴を履いて練習していました。
家ではその靴で上手く歌えていたので、そのままゲネプロに臨んだところ、何だかしっくりこないのです。
上手く重心を下げられないのです。
やはり靴の影響は大きいと再確認して、本番は夏のリサイタルで履いた靴に変更しました。
するととても良い具合に落ち着いて立つことが出来たのです。
落ち着いて立てば、息もきちんと良い場所に入るはずですが、やはりホールは家とは違います。
いつもは何となくこの辺りという感覚で背中から腰にかけての場所に息を入れていたのですが、実際には厳然とここという場所があり、そこにしっかりと入れなくてはならない事に気づいたのです。
ああ、こうしないとダメなんだと分かったのが本番前のホール練習でした。
本番でもそうしたつもりでしたが、ほんの少し場所が違ったようで、第一声が思った様な響きになりませんでした。
途中から立て直して、後半や二曲目のアリアは割と上手く行ったと思いますが、実際はどうだったのでしょうか。
聴いた人からの感想をきいてみる事にしましょう。
まとめると、今回の本番で再確認できたのは姿勢の大切さと息の入る場所の重要性です。
口の開け方や高音のもって行き方は、私がこれまでにやっていた通りだったので過去の記載を参照して欲しいです。


座って歌ってみよう。
これまで体の背面や下半身の使い方を重点的に述べて来ましたが、よくわからないという方は座って歌ってみる事をお勧めします。
ピアノの背もたれのある椅子などに深く腰かけて、背中が背もたれに付くように、上半身は力を抜いてだらんと座り、その背もたれを背中と腰で押すようにしながら歌ってみましょう。
座っているのだから当然脚に力は入らないはずです。
そして声は真っすぐ前に出すイメージを持ち、口や口の中を縦に開けるようにすると良いです。
ただし、ごく初心者がいきなり試すのは無謀です。
ある程度息の吸い方や発声を勉強した人が、高音に力が入って上手く行かない時などにやってみると、ビックリする程の効果があります。
そしてその感覚のまま立って歌うのです。
そうしてみると、私がこのところ続けて書いている色々な事が体得出来るかもしれません。
私の生徒さんにも時折この座って歌うという事をやって貰いますが、上手く行く人が殆どです。
ですが、立って歌うとまた元通りという方も多いです。
このように姿勢や息の位置という一つ一つがとても微妙で難しいのですが、全ての要素が揃うと自分でも驚くほど楽に、高音も難しい音の移動もこなせてしまうのです。
何か上手く行かずに悩んでいる人は、是非この座って歌うを試してみてください。


日本人の声の好みと発声法
私は過去30年間、発声の研究を続けて来たが、今になってつくづく思う事があります。
それは日本人の声に対する好みが、発声の勉強の妨げになっているのではないかという事です。
30年以上に渡り、試行錯誤を続けながらああでも無い、こうでも無いと発声を研究してきましたが、何度もこれだと思った歌い方を変えたり、修正したり元に戻したりを繰り返しました。
その理由の一つに、理想とする声のイメージが自分の中で確定していなかった事があるように思います。
日本人の女性は見た目の若さをとても気にします。
男性も女性の声は可愛い声が好みの人が多いと思います。
欧米の女性は可愛らしさより、大人の女性としての成熟さや賢さ、仕事が出来る感じが重視され、声もどちらかというと落ち着いた低めの声が好まれるのではないかと、外国のテレビキャスターやニュース番組のアナウンサーの様子を見ていて思います。
その日本人の女性の声の好みが発声の仕方にかなり影響している気がするのです。
日本の女性たちの歌声は往年のアイドル達の声はいうに及ばず、クラシック界においても歌声が細目で可愛く、高い声の人たちがもてはやされている気がします。
そういった声の人が多いので、歌を勉強するに当たり、それをお手本にしてしまうので、皆細目で可愛い声になっていくのかもしれません。
少し太めで豊かな響きの人は、ソプラノであるにも拘わらず、メゾソプラノだと言われたりもします。
私もソプラノですが、メゾでも良い位の少し太めの響きの声であるため、知らない人にメゾだと思われたり、プロ同士でコーラスの時はアルトパートを担当させられてきました。
すると悩んでしまうのです。
自分はもっと細い声にした方が良いのではないか、所謂世間一般のソプラノの人たちのような声で歌うべきなのかと、、。
実際、それで細めの声が出るように歌い方を変えたり、日本歌曲はイタリア物より細い声にした方が良いのではないかとか、色々悩んだものでした。
今は確信をもって以下の事が言えます。
①声は、その人の持っている声のまま正しい発声で歌うべきで、意識的に太くしたり細くしたりしてはいけない。
②もしそれが自分の好みの声でないとしても、そのままの声で歌うしかない。
③日本人好みの可愛い声を目指してはいけない。
欧米人と日本人の声の差は人種の差としてはそれほどはなく、あるのは個人差だけです。
日本人が欧米人の声には全く遠く及ばないと感じるのは、発声法が違うからであって、同じ発声法で歌えば同じような種類の声で歌えるのです。
正しい発声とは、自然なリラックスした体で気持ちよく歌え、高音も低音も同じような響きで歌え、喉に力が入らない歌い方です。
私は今は歌う事が苦痛ではなくなり、練習も楽しくて仕方がないです。
もっと早く若いうちにこの境地に達したかったのですが、発声法に関しては指導者がいない状態だったので仕方がありません。
これからは後進の人たちに伝えていく役割も頑張って行こうと思います。


番外編 マルゴーニ近藤冨佐子先生の公開レッスン
先日、神戸でイタリア声楽協会主催のマルゴーニ近藤冨佐子先生の公開レッスンを聴講して来ました。
以下の文章はブログの音楽の項目欄で記載済ですが、こちらの内容ともリンクするので、番外編として掲載する事にしました。

マルゴーニ先生は武蔵野音大と専攻科で学ばれた後パリ音楽院に留学、同大学院を卒業後声楽家として活躍され、パリ地方音楽院の教授をされていた方で、ご主人は作曲家でパリ音楽院の名誉教授との事です。
先生は勿論日本語でレッスンされるので、外人の先生のレッスンのように通訳を介する訳では無く、言葉がすんなり頭に入って来ます。
仰ることもとても分かりやすく、レッスンを受けている方の声がアドバイスを受けると変わるのがはっきりと分かり、とても興味深く面白かったです。
一日通しで聴講できるのですが、仕事の都合で午前中のお二人の方のレッスンを聴きました。
先生の仰ることは、私が常日頃生徒さんに話している事と言い方は少し違いましたが、内容は同じでした。
私が教えている事が間違っていない事、私の今現在の発声法(歌うたびに少しずつ更新されています)が大筋においてこれで良いのだと確認できたことは収穫でした。
発声については、これまで以上に確固たる信念をもって指導出来ます。
先日、ガランチャさんのリサイタルについてのブログで、歌はこうでなくっちゃいけないと思ったと書きましたが、まさにその声を目指すためのレッスンでした。
勿論声には個性があり、体格も関係しますから、同じ発声法なら同じ声になるという訳ではありませんが、似た響きの声にはなります。
それは声種が違っても同様で、同じ系統の響きの声になるのです。
この事は私がずっと昔の若い頃から思っていたことで、日本人の歌手の声と欧米人の歌手の声ではなぜあんなに違うのだろう、皆は体格や骨格の違いだからだと言うけれど、果たして本当にそうなんだろうか。
根本的な声の出し方が違うように感じるけれど、、、という思いが、30年以上に渡り同じ思いの友人と共に研究を始めた理由でもあります。
最近になって漸く、本当に長くかかりましたが、全てに納得のいく最終的な発声法が分かったと思っています。
それが果たして本当に正しいのかを確認するために今回のレッスンを聴講させていただいた次第です。
先生の仰ること全てに「そうそう。」と頷き、納得して帰りました。
私はもう声のピークは過ぎた年齢ですから、これから自分がバリバリ歌うのは無理でしょう。
でもまだ若い生徒さんには出来る限り伝えたいと思っています。
ただ、日本人である私達にはとても難しい事なのです。
何故なら、良い声、正しい声がどういう物かが分からない人が日本人の専門家にも多いからです。
以前、このブログにも書きましたが、日本語の特性や日本人の女性の声への好みも関係しているのでしょう。
声楽を勉強する人は、もっと外来の一流の人の声を聴いて、あの人は特別だからとか自分には出来ないなんて思わず、同じような良い声を出すためにはどうすれば良いかをもっと考えて欲しいのです。


絶対に大切な事
今まで色々と発声の方法について述べて来たが、このところ年齢を重ねて来たので、私の考える正しい方法でないとまともに歌えないという事が分かって来た。
若い頃には普通にしていたやり方では高音はもとより低音も歌えない。
身体の筋肉や声帯の回りの筋肉が衰えてきているのが自分で分かるようになって来た。
声帯も硬くなり柔軟性が次第に失われてきているのだろう。
前回にも述べたが、下半身の脱力と重心を下げる事、高音を上に上げずにその前の音のまままっすぐ歌う、下顎を下げて口の中を縦に開ける事などを守ること、横隔膜をしっかり下に支え続ける事がますます重要になってきた。
いや、重要というより必須と言うべき事柄になってきた。
来年のコンサートの予定は既に二三入っているのだが、家での練習は勿論本番も最新の注意を払って歌わないといけなくなってきた。
それと共に筋肉の衰えをこれ以上進めないために、体幹を鍛える必要があると考え、毎日トレーニングする事にして、今月から始めている。
私くらいの年齢になると第一線から退く歌い手が多いのも頷ける。
若い頃何も考えずに歌っていたままの発声では、本当にまともに歌えなくなるからだ。
若い人は少しくらい違った高の出し方でも綺麗な声で歌えるし、高音も出せる。
私は幸いに正しい歌い方が分かったので何とかまだ歌えているが、それでも自分の声の衰えは自分で分かってしまう。
若い頃から分かっていればしっかり声が出る年齢でもっと自由に思いのままに歌えただろうと思わないことも無いが、また自分でコツコツやって来て分かったことが今の私を支えている。
これからはそれを生徒さんに伝えていくのが役目だと思うが、伝えてもなかなか分かってもらうのが難しく、そちらも大仕事だ。
でも根気強く伝えていくしかない。
この私の文章を読んで下さる方も、文章だけで理解する事は難しいと思うが、私の言葉を参考にあれこれ試していって欲しい。
やっている内にこれだ思う歌い方が出来る事を信じて頑張って欲しい。


更なる脱力
今、私は今月21日のコンサートで歌う曲の練習をしている。
毎回、本番の為に練習している最中に新しい発見があるのだが、今回も新しく気づいた事がある。
それはやはり脱力。
脱力に関しては何度も書いているので、またかと思われるかもしれないが、私が今まで感じていたのよりもっと脱力して歌うと声がもっと自由になるのだ。
脱力と言ってもどこもかしこも脱力するのではない。
そんな事をすると歌えなくなるし、歌えてもろくな声が出なくなる。
その点は大昔に自分で確認済である。
ではどうやってもっと脱力するのか。
それは体の支えのやり方でだ。
支えは必ず必要で、それにはある程度の力が必要で、高音ではより一層の力がいる。
けれど、その力を加える事によって首回りや声帯に力が入ってはならないのだ。
咽や声帯に影響しない場所で力を入れて体を支え、息を送り続けなくてはならない。
息を上で支えると直ぐに喉に直結するので喉に力が入ってしまう。
だからといって余りにも下で支えると音程が下がりやすい上、音質が暗くなり、奇麗に響きにくいし、高音も出しにくくなる。
程よい場所で支えるのが良いのだが、その加減が慣れるまでは難しい。
また、声は息が声帯の間を通っていく事で生まれる。
その大原則も重要だ。
フォルテにしたいときは喉に力を入れるのではなく、息を支えながら体で息をしっかり送り出す。
反対にピアノで歌いたいときは、息を支えつつも送る息を少なくすると良い。
そして体はリラックスして歌う事が大切だ。
息は下の方の背中側で支えて歌うのだが、その時の身体は支えるのと口を開けること以外は殆ど脱力状態にする。
勿論脚は立っているのに必要な力だけで良い。
本番だと誰でも緊張して体が硬くなり力んでしまうと思うが、そこが肝心なので、常に家で歌っているような楽な体と気持ちで舞台に立たなければならない。
まあ、そこは難しいし、なかなか慣れないだろうが、歌は体を使う以上、リラックスはスポーツ選手にも共通する事だと思う。
この状態は、これまでに何度か書いてきた「まるで何もしてない状態の時に自由に歌える」状態と体の脱力という点では同じである。
これまでは歌っているうちに偶然この状態になったのだが、初めて自分で意識的にこの状態にすることが出来た。
気持ちと体をリラックスして、けれどやるべきことはしっかりと抜かりなく。
これが最終的に必要な事だと思う。


口の中の形
先日も書いたが、今私は21日のコンサートの練習中だ。
流石に間近に迫って来たので、発声なしでいきなり歌ってもある程度ちゃんと歌えるようにするべく練習に余念がない。
今日の練習で改めてこんなに大切なんだと思えた事があるので、忘れないために書いておくことにした。
それは口の中の形だ。
生徒が歌っている時には聞いて直ぐに分かるので、いつも口うるさく言っているのだが、自分となると客観的に自分の声を聴きながら歌う事が難しく、つい適当になってしまう様だ。
録音したのを聴いてやっと気づいたり、何かしら上手く行かなくなって気づいたりすることが多い。
口の中を常に縦にすることがとても重要なのだ。
実はここ数日、これまで何ともなかった歌い出しが上手く行かなくなり、その原因がよく分からずあれこれ試していたのだが、今日、ふとしたきっかけで原因が分かってホッとした。
これまで無意識にやっていた口の構え方が、いつの間にか少し違っていたのだった。
いつもは無意識にやっていたので、違ってしまうとどうやっていたのかが分からず、悩むことになる。
改めて始からこうすると意識してやるようにすると、上手く行くようになった。
母音が色々変わっても常に口の中を縦にすることは、かなり強く意識していないと難しい。
分かっていたはずの私でも、少し違った形で歌ってしまっていたのだ。
日本人が不得意なエ母音とペタンコになりがちなイ母音、元々縦なのでつい縦意識が適当になるオ母音の3母音が特に難しい。
今回の個所はエ母音だった。
このところ体の脱力と重心を下げる事に集中していたので、そればかり意識してしまい、口の形への意識が適当になってしまっていたのだ。
先生がいてレッスンに行ったならば直ぐに指摘して貰えただろうに、自分だけで練習しているとなかなか気づけない。
反省しきりではあるが、本番が近いので今日の練習で気づけた事はラッキーだった。


息を流す、息を送る。
これまで支えについては何度も言及して来ましたが、声のエネルギーである息の流れについては余り話してこなかったので、今日は息についてお話しします。
ご存じの通り、声は息が声帯の隙間を通って声帯を振動させる事によって発生します。
声を出し続けるには息を送り続ける必要があります。
大きな声を出すには息が沢山必要で、反対に小さな声を出す時は息を少なく送ります。
ですから支えを強くし過ぎて息を送るのが止まるようではいけません。
強い声を出そうとして喉や体に力が入りすぎると、息が十分に送られず硬い声になってしまいます。
支えは初心者の人の場合は忘れてはならない大切な事ですが、十分歌ってきた経験者の場合、支えばかりを気にすると返って良くない場合もあるのです。
息の支えが無意識に自然に出来ているような方ならば、支えよりも常に息を送る事を気をつけると、柔らかな良い響きの声が出る事が多いです。
勿論息ばかりが多くて息漏れの声になってはいけないのですが、人から声が硬いとか、力が入っているとか言われる方は、息を送るまたは息を流す事に注意してみては如何でしょうか。
身体をしっかり使って歌うのも結局は息をしっかり送る為です。
咽を開けて口の奥の方の体積を増やすことと息を流す事、この二点だけに集中して歌ってみる事も何か新しい発見につながるかもしれません。

正しい発声とは
今私は10月と11月に予定されているコンサートに向けて練習を重ねている。
10月は川西音楽家協会の定期演奏会で、11月は知り合いの方からの依頼で50分のソロでの演奏会を開催するのだ。
間隔が1週間しか空いていないので、定演で歌う曲を11月のプログラムに入れて歌う予定なのだが、その曲目がなかなか決まらない。
演奏時間の制約があるので、その中で考えなければいけないのだが、一曲は問題なく決まったが、もう一曲で悩んでいるのだ。
もう今後歌う機会が余り無いと思うので、好きなオペラのアリアを二曲歌いたいのだが、昔なら楽々歌えていたのに、今の私には発声面での数ある要因が全てピタッとはまっている状態の時しかまともに最後まで歌いきる事が出来ないのだ。
昔歌った歌はその時の発声の癖が知らないうちに身についてしまっていて、歌うと何故か昔の発声になってしまい、今私がこれだと思って歌っているやり方にならない事が主な原因の様だ。
昔は昔のやり方で普通に歌えたのに、今は昔のやり方だと途中でとても苦しくなって最後まで歌えなくなってしまうのだ。
何て事!?
この状態には困惑する他無い。
「若い時は良かったなあ、でも、どうやっても声は出て歌えるから、これで良いのだと思ってしまってたな。」
と心の中でつぶやくのである。
一旦昔の歌い方は全て忘れるようにして、今私がやっている発声法で歌いなおしてみると、普通にちゃんと歌える。
今の所、昔歌った歌はその時の歌い方を忘れる以外方法は無いのだが、最近譜読みから始めた新しい歌ならそんなことは全くなく、今の方法で楽に歌える。
「ああ、そうだった、昔もそんなことがあったなあ。昔、もっと前の大昔に歌った歌は、大昔の時の歌い方になってしまい、その時点で分かっていた発声法になかなかならなかったな。」
そんな事を思いながら練習に励んでいる。
そして、今やっている発声法は、この年齢になった私がまだなんとかアリアを楽にとは言わないまでも苦しくなく歌えるのだから、正しいのだと納得できるのだ。
正しい発声とは、年齢を重ねても自分で納得できる歌が歌える発声なのだと思う、今日この頃である。
とはいえ、声楽には身体が楽器という理由での避けられない年齢的な限界がある。
幾ら正しい理想的な発声をしていても、全ての素晴らしい歌手がある年齢を境に引退していくように、身体の老化による声の衰えは避けられない。
私もそろそろそんな時期に差し掛かっているのを感じるので、一回一回の演奏の機会を大切に、悔いの無い様に向き合いたいと思っている。

歌う時の顎の位置
皆さんは、歌う時の姿勢や顔の角度(顎の位置)についてどう考えているでしょうか。
姿勢について私は以前、重心を落として背中側を広げるようにと書いたと思いますが、顔の位置は正面を向いて真っすぐにと書いた記憶があります。
私はずっとそれが正しいと思っていましたが、最近発声を解説している方の中に、顎は上げて歌うのが正しいと言ってらっしゃる方が居られる他、実際の演奏会でも高音でやや上を向く方をよく見かけます。
で、私ももしかするとそれが正しいのかもしれないと思い、実際にそうやって何度か歌ってみましたが、やはり顔は真っすぐにしていないと、納得できる良い声で歌えないのです。
高音や音が上がるときは上ではなく、顎を下げて行くのが正しいのですが、始から上がっている方が下げやすいと言うのが、顎を上げて歌う方が良いと言う方の理由の様です。
確かにそれには一理あるのですが、私の場合は顎を上げて歌うと、とても歌い難いのです。
有名な歌手の方の動画を見ても、高音で顎を上げている方もいれば、特に変わらず常に真っすぐに歌っている方もいて、必ずこうだとは言えないと思います。
私が色々な方の動画を見て思ったのは、上を向く感じの方の首はとても太い方が多く、身体もふくよかで大きな方が多いなという事です。
そういう方は顎を下げると首にくっついてしまい、苦しくて歌い難いのではないでしょうか。
自分で色々とやってみて決めれば良いとは思いますが、私が聴いた感じでは、高音で顎を上げた結果、顔が上を向く方の声の響きは、それまでとは少し違っているように思うのです。
私は高音でも中音でも同じ響きで歌うべきだと考えているので、高音で顔を上げるこの方法は、少し疑問です。
何故ならば、歌う時は出来るだけ声帯の位置を低く保つ必要があるのですが、顎を上げると低い位置に保ち難くなるように思うのです。
他にも顔を上向き加減にして歌うと、重心が下げにくい、背中から腰に掛けての息を感じにくいなどがあります。
勿論、顎を上げて上を向く感じになっても、声帯を低く保て重心を下に落とせ、背中側もしっかり感じられるのならば全く構わないのですが、、。
皆さんは、自分が歌いやすいやり方で歌って下されば良いのですが、顎の向きはかなり重要な点だと思うので、敢えて今回書くことにしました。

※2024年10月2日 補足追加
顎の角度について1年前に以上のような記載をしましたが、その後、約1年経って、考えを変えたので補足訂正をしようと思います。
高音を歌う場合、声帯の位置を低く保ったまま、しっかり顎を下げて咽も口も縦に開く必要があるので、顎を引いては声帯に力が加わり、良い声になりません。
私は顔はまっすぐ正面を向いているのが良く、高音では顎を下げる(顎を引くのではありません)のが歌いやすいとずっと感じていましたが、この半年ほど色々と試してみたところ、声帯を十分に下げているのであれば、顎先を少し上向きにする方が明るくてクリアーな音色になると感じています。
この場合の顎先は決して上を向くほどではなく、まっすぐ正面より少しだけ顎先を上向きにします。
この少しだけというのは個人によって感覚が違うと思うので、最適な角度を探ってみてください。
私がこのように考えを変えたのは、私は高音を歌う時も顎は上げずに真っすぐ正面を向いていると思っていましたが、歌ているのを見た伴奏者に、少し顎先は上になっているよと指摘されたのが始まりです。
それを受けて顎の角度を色々と変えて歌ったところ、上記のような結論に達した訳です。
ただ、ここで大切なのは顎先を上に上げても、声帯は必ず下げて、下顎はしっかり落とす事です。
顎先を上にすると、ついつられて声帯が上がり、下顎もしっかり落とさず、小さな口になりがちです。
その点に注意して歌うなら、少し顔を上向きにする事でより良い響きを得る事が出来るでしょう。


今回の本番で確信した事。
今月始の三連休の中日、大阪市内でミニリサイタル形式で歌う仕事があった。
先月末に予定されていた川西音楽家協会の定期演奏会が、ホールのスプリンクラーの事故で中止になってしまったのだが、時期が同じだったので、半年前からこの両方のコンサートに向けてずっと準備をしていた。
約半年前の西宮でのコンサートに向けて練習していた時には、その前年1月のコンサートで改善した姿勢や息の位置を重視しながら練習していた。
今回もその延長線で練習していたのだが、次第に、練習すればするほど、やり過ぎてしまった様で、自分でもあれ?おかしいなと思う事が増えて行った。
それで、本番二週間ほど前に、姿勢や息の位置を昨年の状態に戻すことにしたのだ。
ただ、これは絶対譲れない思っていた事は、戻さずにいた。
それは体の脱力とリラックスだ。
脱力とリラックスについては、かなり前から重要だと感じてはいたのだが、今回は今までより徹底した脱力とリラックス状態で歌う事が肝心なのだ、と確信した。
ただし、完全にどこもかしこも脱力しているわけではない。
言葉で言うのはとても難しいのだが、強いて書けば、姿勢は普通に真っすぐに立ち、息はお腹の下の方に保つが、決して力を入れて頑張って保つのではない。
そして脚や上半身はリラックスした状態にする。
言い換えれば、歌いながら歩いたり動いたり軽くステップを踏めるような状態にしておく。
その他の要因は、以前から述べている事と変わらない。
この状態で本番で歌った事は、これまでにも有ったのだが、偶然そうなっただけで、自分で意識していた訳では無かった。
今回は、自分で意識してその状態にして歌ったのだ。
前にも書いた事があるのだが、それで歌うと、身体は何もしていないような状態となる。
偶然ではなく、意識してその様な状態で歌えた。
これは私にとって画期的な事で、身体がそうなると、とてもリラックスして落ち着いて歌えるうえに、声も落ち着くのだ。
これまでの本番とはかなり違った感覚があり、やっぱりこれなのだと、長年の疑問が解決した本番だった。
これまで、リサイタル形式のコンサートは何度も開催して来たが、今回の出来が一番良かったように思う。
声自体の艶や伸びやかさなどの点は、若い頃の方が良かったとは思うが、歌の完成度は、曲によって出来不出来の差はあるものの、今回が一番だったと感じている。


歌における母音と子音
私の歌の教室では、まず誰にでも歌う時の姿勢と呼吸の練習から始めます。
その次にハミングの練習、それから母音で歌う練習と系統だって進めていきます。
母音はあいうえおの5種類をそれぞれが同じ響きの同じ質の声で歌えるまで練習して行きます。
それが出来ると次に子音のついた発音、例えばカキクケコ、サイスセソなどで練習して行きます。
それぞれの段階で音型は同音から2度、3度、5度で動くような練習をします。
これらが大体出来てからコンコーネや歌の練習に進みます。
ですから入門してから歌に入るまでの期間は、レッスンの頻度やこれまでの経験の差がある為、人によって様々ですが、早い方で3か月、普通は半年以上掛かります。
その発声練習の段階で、生徒さんが一番苦労するのが咽を開ける事でしょう。
その次に苦労するのが、母音の練習から子音に入る時だと思います。
咽を開けたまま声を出すのが一番難しいと思いますが、それが出来ている生徒さんでも、子音の付いている発音、例えばハヒフヘホで歌うと、途端に咽が開かなくなってしまいます。
歌には言葉が付いていますから、母音だけではなく子音が付きます。
日本語は5つの母音に様々な子音が付いて発音しますから、子音のついた母音が歌えないことには、話になりません。
母音が綺麗に咽が開いたまま歌えても、子音は口を閉じて発音する事が多いですから、口を閉じると子音の次の母音が咽の閉じた音になってしまうのです。
全ての子音の付いた発音は、あいうえおの前に瞬間子音を発音しますね。
例えば、サシスセソは、あいうえおの前にそれぞれSをくっつけて発音するわけです。
で、Sは上下の歯を閉じて発音するので、サはアの時より口が一瞬閉じられますね。
そのままアに移ると咽が開かない声になってしまうという訳なのです。
だから、せっかく母音は綺麗に歌えるようになった人が、子音のついた発音は綺麗に響かなくなってしまうのです。
ピアノをされる方なら分かると思いますが、子音を装飾音のように軽く短時間で発音した後、直ぐに咽の開いた母音に移る必要があります。
これは初心者の方は皆、苦労する事です。
コンコーネの母音唱法はとても良く歌えるのに、歌になったら響く声にならないのは、全て原因はこの点にあります。
思い当たる方は、子音の次の母音が綺麗に響く声で歌えるように練習してみてください。
歌詞の子音を省いて、全て母音で歌ってみるのも良い勉強になります。


練習は録音必須
皆さんは練習時の自分の歌声を録音していますか。
録音はしていても、それを必ず聴き返していますか。
私は発声の勉強には、この自分の声を客観的に聴くという作業が避けて通る事の出来ない、最重要必須事項だと思っています。
録音された自分の声を聴くことはとても恥ずかしく、嫌な物です。
何故ならいかにダメか、良くないかを思い知らされるからです。

実際、歌っている時はもっと良い声で上手く歌っているように思えるので、録音の声が思ったようでないと、録音はやはりだめだな、本当の声は録れないのだとか、言い訳したくなりますが、それは現実の物として受け入れるしかありません。
現実の物として受け入れて初めて、自分の声の欠点がわかり、どうすればそれが解決するかを考える様になるからです。
先生に指摘されていても、自分で思い知らなければ、どの程度駄目なのかが分かりません。
勿論わかる為には客観的に評価できる耳が必要ですが、それは日頃から日本や海外の有名どころの歌手の歌や、先生、大学の憧れの先輩、などの歌を聴いていれば聴く耳は出来てきます。
それらと比べて自分は何が違うか、何処が駄目なのか、もしくは何処が良いのかが自分で分からなければなりません。
じぶんの声を客観的に聴かずに発声の勉強は出来ません。
レッスンのろ録音は勿論ですが、練習時の録音も必ず行い、聴き返すように習慣づける事が上達への道です。



高音の出し方 補足
久々に記事を書くことにしました。
と言うのも、目下約2か月後に迫ったコンサートの練習をしていて分かったことがあるからです。
それは高音の出し方についての補足です。
以前の記事には高音は上下を開いて、特に下を開くことが大切で、顎を下げると書きました。
それは勿論正しいのですが、例えば高音に小さくPで入りたい場合や、発音の繋がり方によっては、単に前の音から縦に開いただけでは上手く行かない場合があるのです。
そういう時にどうすれば良いかと言うと、前の音(高音の前の音ですから、必然的に少し低い音です)から口の大きさは変えずに比較的小さいまま真っすぐ高音に入ります。
入ったら、そこから直ぐに顎を下げて口をしっかり開きます。
息もそれと共に多く吐いていきます。
そうするととても楽に簡単に高音に入れて、かつクレッシェンドする事が出来ます。
口を開く為の時間をゆっくりすれば、Pの部分が長目になります。
ただし、この方法は、それまでの声の出し方が正しく出来ている場合にだけ出来る方法で、声を前に押していたり、高音で上だけを意識して喉が上がる人、身体に必要以上の力が入っている人の場合は、当てはまりません。
私は高音の発声については若い頃から悩みが多く、色々とやり方を変えて歌ってきましたが、今回分かったことが、多分、最終形態だと今は思っています。
一つずつの正しい事は出来ていても、全ての正しい事が出来ていないと、最終的には上手く行かないという事が、声楽がとても難しい原因だとつくづく思います。
今の私は発声のかなりの部分が分かったと感じていますが、まだまだ新しい発見があるかもしれません。
インターネット上には発声についての様々な発信があります。
正しいもの、少し怪しい物、よく分からない物など本当に様々ですが、色々と取り入れて、まずは試してみる事が良いでしょう。
その上で、合わないなあ、違うなあと思う物はさっさと辞めてみる。
でももしかすると、その時は違うと思っても、後であれは正しかったと思う事もあるでしょう。
私はこれまで自分で色々と試して、辞めたり変えたり、取り入れたりしてきましたが、螺旋階段のようにぐるぐると回って上に登ると、また前に捨てたことが正しいと感じる事の繰り返しでした。
歌を勉強している皆さん、諦めずに色々と試行錯誤して、自分の発声を完成させてくださいね。


災い転じて福となす
先日、2年ぶりに私の所属する川西音楽家協会の定期演奏会が開催されました。
2年ぶりとなった経緯は、ブログに書いてありますので、興味のある方はそちらをお読みください。
演奏曲は、昨年歌うはずだったオペラアリア2曲です。
ですから丸々1年半ほど取り組んでいた曲で、その間、発声法にも新しい発見があって更新したり、練習のたびに工夫を重ねてきたので、ある程度の自信も持っていました。
所がはじめての会場であるアステホールは、元々イベント会場で多目的ホールです。
舞台は無い、反響版も無い、床はカーペット敷、客席は段差無のパイプ椅子を並べる仕様と、コンサートには全く向いていない会場でした。
前日のリハーサルで生まれて初の体験をしました。
それは、自分の声が会場の空間に吸い込まれて消えていくという体験です。
そんな事は初めてなので、驚き戸惑い、全く勘が狂いました。
声が消えるので、無意識に声を出そうとして頑張ってしまいます。
いつもはホールの響きではなく、自分に聞こえる顔周りの声を聴いて歌っていたのに、それすら聴こえないのです。
結果、前日のリハーサルとゲネプロは最悪の出来でした。
翌日の午前中は自宅で修正し、当日のリハーサルに臨みましたが、まだ何かおかしくて納得出来ませんでした。
楽屋の隣に音を出せる部屋があったので、友人のアドバイスや伴奏担当の娘の話も参考に、試行錯誤を続けました。
で、最終的に自分で出した結論は、今まで私がこちらの方が良いのではと、この1年半ほど重心を落とす事と下半身の脱力を重視していたのですが、以前にやっていた支え方を変えてしまっていたのがいけなかったのかもと気づき、支え方は以前に戻し、重心の位置と下半身の脱力は今のを取り入れると言う、2つを組み合わせる方式です。
それが大正解だった様です。
本番は今までで一番うまく行った気がします。
会場の響きではなく、自分の顔周りで聞こえる声がしっかり聞こえました。
その為、安心していつも以上に感情面でもしっかり歌う事が出来たと思います。
もしかすると、今までで一番良かったかもしれません。
これも、あんな最悪な響きの場所で歌う事になったからであり、まさに「災い転じて福となす」でした。
兼ねてより、本番は最高の教師と書いてきましたが、今回ほどそう思った事はありません。
家で歌っているだけでは絶対に分からない事を、本番は教えてくれます。
皆さんも貴重な本番の機会を一回一回大切に向き合ってくださいね。


究極の発声法その1
暫く記事を更新していませんでした。
というの昨年の夏は身内に不幸が続き、その後は法的な手続きや相続その他諸々の事に忙しく、余り歌う時間も取れず、歌の本番も少なかったからです。
新年になり、色々な後始末も一段落してきました。

来る3月には多分最後となるであろうソロリサイタルが控えています。
練習は昨年の春から取り組んでいたのですが、前述したように6月以降は練習も余り出来なかったのです。
新たな歳を迎え、実質残り二か月となったので、歌に向き合い始めました。
春にはプログラムも決めて歌い込んでいたので、今は暗譜の確認と発声の仕上げに入っています。
これまでは重心を落とすことに注力していましたが、ここの所それだけでは無く、息の支えはウエスト辺りだけでは無く、腹部全体、もっと言えば腹部と胸部全体のように思い始めています。
これまでは、ウエストから胃の辺りに力を入れて息を支えていましたが、力を入れて支えるのではなく、身体を筒のように思って全体に息をしっかり取り込み、特に高音では体全体で支えて、特にどこかに力を入れるのではなく、はあーっと横隔膜を使って口に送り出すイメージにするときに、高音が以前より伸びやかにしっかり出るようになって来たのです。
その時、重心は下ですが、姿勢を低くはしませんし喉は下げたままです。
その時の口は、下顎をしっかり下げて大きく口を開きますが、顎の角度は真下ではなく、前方に20度から30度ほど傾けます。
表情は晴れやかに、のつもりですが、実際はどんな顔なのかは分かりません。
ただ、とても良い気分で、苦しくなく、自分でもこれは音程もバッチリで良い声が出ていると分かるのです。
推測ですが、晴れやかな表情だと思われます。
そして、これがとても大切なのですが、身体を筒のようにして腹部と胸部全体で息を支えて歌うと、何もしていない感覚になるのです。
脚は楽にリラックスしているし、喉にも胸にもウエストにもどこと言って力を入れる場所はありません。
ですから、普通に立って普通に息を吸って歌い始めれば良いだけなんです。
なので緊張感も無いですし、ずっとリラックスして歌えます。
でも声はちゃんと出ています。
こういう感じ(何もしていない感じ)は前にも書いたことがありますので、初めてではないのですが、これまでは歌っているうちに何の拍子か突然そうなっていたのですが、今は最初からそうなるのです。
私が探し求めて来た究極の発声はこれなんだろうと思います。
どこかにぐっと力を入れないので、変な声の揺れも無いですし、何か癖のある声にもなりません。
これが私にとっての究極の方法なのかどうかは今後の進展を待つ必要がありますが、色々な点から考えると、そう思って良いのではと感じています。
三月まではこのやり方で歌っていこうと思います。

究極の発声法その2
前回、究極の発声法その1を書いた後で、もう一点重要な事を書いていないことに気づいたので、その2として書き記します。それは下顎の脱力です。
身体の脱力(どこか一点に力を入れるをしない)が出来ていても、下顎に力が入っていては良い響きになりません。
この下顎に力が入っている事には、なかなか気付けないので、大抵の人は力を入れているなどとは思わず、けれども入っているという状態になります。
特に日本歌曲を歌う時には、日本語の特性でしょうか、前に押し気味の浅い声になりがちです。
日本歌曲もイタリア歌曲も発声法は同じです。
どちらを歌う時も、ドイツ語や他の言語で歌う時も、下顎の力は抜きましょう。
そうすれば深くて美しい響きの声になります。
身体の脱力と下顎の脱力に気をつけて歌ってくださいね。